山形コミュニティ新聞WEB版

編集長インタビュー

ケンチャンラーメン山形 店主 阿部 勝重さん

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阿部 勝重(あべ・かつしげ)1967年(昭和42年)山形市生まれ。山大附属小・中学から山形南高に進み、県外の大学を卒業して広告代理店の山形アドビューロへ。13年間営業に従事した後に脱サラし、西田にラーメン店「ケンチャンラーメン山形」を開業。広告代理業やアパート経営のほか、一時は焼き肉店「焼肉千歳」、パン店「KOUB」「TENN.」のプロデュースも手掛けた。55歳。

ラーメン消費の拡大を通じ
  山形市の賑わい復活を目指す

――ケンチャンラーメン、ボクもそうだけど、ファンが多いよねえ。

テレビ全国放送にも

 「有難うございます。でも『しつこくてダメ』という方も少なからずいらっしゃって(苦笑)」
 「ルーツは酒田市のケンちゃんラーメン。サラリーマン時代に味に惚れ込み、脱サラして店主に弟子入りし、38歳の時に開業しました」
――いつも凄い行列で入れないんだもん。
 「回転率は速いので、待ち時間はそれほどでもないんですけどね」
――10月27日放送の「秘密のケンミンSHOW」でも紹介されました。
 「恐れ多いことに、市内有数の人気として紹介していただきました。ただ放送直後はあまりの行列にパトカーが出動するなど、ご近所にはご迷惑をおかけしてしまって」
――「ラーメンの聖地、山形市」を創る協議会を立ち上げたのは?

首位陥落に危機感

 「昨年まで山形市のラーメン支出金額は8年連続で全国首位という実績があるのに、なぜそれを積極的にPRしないかとずっと疑問に感じてました。それが今年は新潟市に次ぐ2位に陥落、逆に全国から注目されて…」
 「危機感を抱くと同時に、『あれ?今って山形のラーメンを知らしめる絶好のチャンスかも』と直感したんですね」
 「それで仲間の城西金ちゃんラーメンさん、麺辰さん、麺家かぐらさんにお声がけさせてもらって、まず4人が発起人になりました」
 「4人がそれぞれ賛同者を募り、現在までに集まったのが24店。メンバーはこれからもどんどん増えていく予定です」 
――で、佐藤孝弘市長に「ラーメンの聖地、山形市」を宣言するよう要望書を提出したと。

伸びないうちに

 「提出時には『ものがラーメンだけに、伸びないうちになるべく早くプロジェクトを進めて欲しい』とお願いしました。当面の目標は行政と連携した首位奪還ですが…」
 「大沼デパートが閉店するなど山形市の空洞化は深刻です。餃子の宇都宮市、焼きそばの富士宮市(静岡県)のように、ラーメンを起爆剤に誘客につなげ、かつての賑わいを復活させたいというのがメンバーの一致した思いです」
――けっこう長い付き合いだけど、そんな熱いキャラだっけ(苦笑)

老後に不安?

 「こう見えて高校時代は応援部の副団長で、大声で『空はコバルト』を歌ってました」
――3年前に完成した桜町の豪邸で独身生活!
 「結婚願望?これが実はありまして、独り身だと老後が心配で眠れないことも…(苦笑)」

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