山形コミュニティ新聞WEB版

編集長インタビュー

須藤建設(山形市)社長 須藤 吉実さん

Share!

須藤 吉実(すとう・よしみ)1954年(昭和29年)山形市生まれ。南山形小→南山形中(現・山形九中)→山形工業を経て上京、専門学校の中央工学校(東京・北区)で建築設計を学ぶ。卒業後に帰郷、複数の地元工務店で実務経験を積んだ後、85年(昭和60年)に祖父が23年(大正12年)に創業した家業の須藤建設に専務として入社。99年(平成11年)から社長。69歳。

今年が節目の創業100周年
  地域の基盤を護り続けます

――創業が1923年ということは…。

創業は大正12年

 「今年1月に100周年を迎えました。この地に住む祖父が自宅兼事務所で始めた建設業がスタートで、会社組織になったのは96年、2代目の父の時代。99年に社長になった私が3代目というわけで」
 「初代~2代目は戦中、戦後の混乱やバブル経済の崩壊、私の代になってからもリーマンショックなどの苦境に見舞われましたが、何とか乗り切ってきた。これもお客様や取引業者の皆様、地域の皆様のご支援のおかげだと感謝しています」
――業界は最近も大変だとうかがってます。
 「コロナ禍や急激な円安、ウクライナ戦争などによる諸物価の高騰といった具合に環境は相変わらず厳しい。だけど、そこは社員一丸となって頑張るしかないと」
 「手がけているのは一般住宅、集合住宅、商工業施設が多く、ほぼ100%が元請けの仕事。下請けは原則やりません」
――他社と違う特徴とかってあるんですか?

誠実な仕事にこだわり

 「仕事を誠実にこなし、ユーザーの信頼を裏切らないというあたりかな。分かりやすいところだと、山形市の山形中野、山形五日町、山形三日町、山形長町、滝山の5つの郵便局は当社の単独施工。上山市の宮生と藤吾の2郵便局も当社が手がけました」
 「あと、やよいの十小の東、西バイパス沿いにレンガ色の会田マンションってあるでしょ?」
――徳洲会病院の前あたりにあったような…。
 「あのマンションは40年以上前に私が建てたの。その後のリフォームも当社が担当していて、あの築年数で今でも稼働率は90%以上。仕事内容でオーナーさんから感謝してもらってます」
――へ~え。

大規模工場も手がけ

 「もうひとつ自慢してもいい?」
――どうぞ、どうぞ。
 「社名は明かせないけど、誰もが知ってる山形市周辺の売上高50億円規模の会社の工場増築を単独受注したことも。2001年だったかな。投資額も多額だったので東京の大手ゼネコン4社も名乗りをあげたんだけど」
 「私の仕事ぶりを気に入ってくれたその会社の社長さんが、『お前がやらずに誰がやるんだ』と言ってくれて」
――いい話ですねえ。
 「いま思い出しても、あの時は嬉しかった」

4代目も確保

――後継者はいらっしゃるんですか?
 「40歳の長男が専務をしていて、後を継いでくれると」
――今年は200周年に向けた第1歩ですね。

記事閲覧ランキング

  • 24時間
  • 週間