山形コミュニティ新聞WEB版

編集長インタビュー

アスヲ(南陽市)社長 石川 晴久さん

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石川 晴久(いしかわ・はるひさ)1979年(昭和54年)南陽市生まれ。日大山形から日本工学院八王子専門学校放送芸術科に進み、卒業後、東京でテレビ番組制作会社や各種サービス業などを遍歴。2008年に帰郷し父親が創業した舗装工事業の南陽総建(現アスヲ)に入社するも、不動産業への進出を期して10年に退社、県内最大手のクリエイト礼文(山形市)へ。2年の修業を経て12年に専務として家業に戻り、16年に社長就任。19年に社名を「明日を、想う。」の意味を込めてアスヲに変更した。22年から住宅業に参入。44歳。

ローコスト住宅の提供を通じ
  SDGsの実現に貢献したい

――もとは舗装工事の会社だったんですよね。

東京で黒服も

 「前身は亡父が1980年に創業した『南陽道路』で、社名が示す通り、高速道路や幹線道路の舗装が生業でした。ただ公共工事の縮小などで舗装工事の受注は減少、物心ついたころから台所は〝火の車〟でしたね」
 「長男だったので、後を継がなきゃとは漠然と思っていましたが、反抗心や経済的理由から高校卒業後は実家を出て、東京で家業とは関係のない生活を送っていました」
――いろんな職業を転々とされて。
 「やりましたよ。テレビ番組制作会社でADとか、セットを手配する大道具とか。あとアーティストのマネージャーやディスコの黒服なんかも」
――給与や労働条件はともかく、楽しそう(苦笑)

帰郷して一時は鬱に

 「でも父がガンにかかったことが分かり、30歳で帰郷することに。東京での生活とのギャップですか?それはありましたよ。2カ月間は鬱状態で、部屋から出られなかったですもん(苦笑)」
 「だって東京では人との折衝やサービス業に携わってたわけじゃないですか。それが実家では社員が満足に挨拶もできない。これは根本的なところから変えていく必要があると痛感しましたね」

三承工業との出会い

――個人的にも会社的にも転帰があったとか。
 「2019年、SDGs(持続可能な開発目標)の概念を知ったことがきっかけでした。社会課題をビジネスで解決するという『ソーシャルビジネス』を目指したいという思いが沸き上がり、実際にそれを実現している岐阜市のハウスメーカー、三承工業との出会いが転機になりました」
 「同社のコンセプトは、高額なローンを組まなくても取得できるローコスト住宅の提案。同社は建設業では初めて『ジャパンSDGsアワード』も受賞しています」
 アスヲは同社のパートナーとして、同社が手掛ける『SUNSHOW夢ハウス』の県内での普及を進めていきます」

著名経営者をKO!

――貴重な体験もされたとか。
 「三承工業の社長に誘われ、20年に元K1王者の小比類巻貴之氏が主催する全国の経営者同士のキックボクシング大会に出場したんですよ」
 「キックボクシングなんて素人で、6カ月間のにわか特訓で試合に臨みましたが、結果は1ラウンドKO勝利でした」
 「相手ですか?言ってもいいのかな…。キックボクシング歴2年で、フェイスブックジャパンの社長だった長谷川晋さんです」
――大金星!(苦笑)

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