《追想録》シベール創業者 熊谷 眞一さん
2021年2月12日
洋菓子・パン製造のシベール(山形市)の創業者で、山形経済同友会代表幹事なども務めた熊谷眞一氏(くまがい・しんいち)が8日、心筋梗塞で亡くなった。79歳。

1941年(昭和16年)大江町の和菓子屋の長男に生まれた。小学校時代、校長から「お前は頭がいいから教師や銀行の支店長にもなれる」と励まされたが、内心「何で菓子屋じゃ駄目なんだ」と反発、家業を継ぐことを心に決めたという。
山形商業を出て県外で修業を積み、帰郷して父親を手伝うが、意見が合わず山形市で独立、間口2.7メートル、奥行き4.5メートルの小さな洋菓子店を構えたのは25歳の時だった。
転機はパン製造に手を広げ、売れ残りのフランスパンを抱えて途方に暮れていた時。試行錯誤の末、スライスしてラスクに加工すると飛ぶように売れた。その後、生産増強や外食への進出などでシベールを山形を代表する企業に育て上げた。
ただ、2005年にジャスダック上場を果たした前後から、情熱の対象は文化施設「シベールアリーナ」の運営などメセナ(文化支援)に傾斜していく。10年の社長退任後、ラスクに依存しすぎる商品構成や競合他社の追い上げなどの問題が次々に経営陣を襲い、シベールは19年1月に民事再生法を申請、県外企業に事業譲渡されるに至る。
20年以上の親交があり、シベールの社外取締役も務めた米穀卸・アスク(山形市)の河合克行社長は「あらゆる可能性を追求し続けた人だった。志半ばだったと思う」と偲ぶ。
葬儀は12日午後3時30分、山形市江俣1の6の22、ファミリー斎場山形西で。