《追想録》 亀松閣 社長・料理長 笹原 智美さん
2017年4月14日
山形市の老舗料亭「亀松閣」の社長・料理長で、元県料理飲食業生活衛生同業組合専務理事の笹原智美氏(ささはら・ともみ)が5日、急性心筋梗塞で亡くなった。59歳。

昭和32年、明治22年創業の亀松閣の跡取り息子として山形市で生まれる。日大山形高から日大農獣医学部(現・生物資源科学部)に進み、同大卒業後、京都の老舗料亭「瓢亭(ひょうてい)」での3年間の修業を経て59年に帰郷、家業の調理場へ。
京都での修業仲間で現在は瓢亭の取締役調理長を務める悦田悟さん(55)は、「おだやかな性格で怒ったところを見たことがない。一方でボケたところもあって、大阪空港で山形行きの切符を忘れたことに気づき、あわてて寮に戻ってきた時は大笑いしました」と懐かしむ。
父親を亡くした高校時代から料理人を志していたものの、山形に戻った当初は京風の味が受け入れられず、思い悩む日々が続く。試行錯誤の末にたどり着いた料理が「伝統に新しい風を吹き込んだ」と評判を呼ぶようになり、市内に残る料亭の中でも唯一、社長みずからが料理の腕をふるって食通をうならせてきた。
「仕事以外にほとんど趣味がなく、休日も調理場に立っていたほど。口数は多くはありませんでしたが、周囲への気遣いを忘れず、よき夫、よき父でもありました」と話すのは妻で女将の史恵(ふみえ)さん。
急逝を悼む声が広がる中、頼もしい存在は大学と短大に通う2人の娘さん。卒業する来春から長女の三聖(みさと)さんは女将、次女の百可(ももか)さんは料理人を目指して京都で修業に入る予定。百可さんの修業先は瓢亭で、亀松閣の伝統は引き継がれていくことになりそうだ。