《追想録》 元県合唱連盟理事長 阿部昌司さん

2013年9月27日
 音楽教員として山形東高や山形西高で合唱部を指導し、全国学校音楽コンクールで両高を全国優勝に導いた阿部昌司氏(あべ・まさし)が11日、肺炎で亡くなった。84歳。
《追想録》 元県合唱連盟理事長 阿部昌司さん

 昭和4年山形市生まれ。山大3年の時に教師に勧められて東京芸大音楽部に2年間留学、声楽を勉強したことが合唱指導の道に入るきっかけに。28年同大卒業後、谷地高校(4年)、東高(10年)、西高(19年)で音楽教員を務める。
 転機は東高時代の36年。生まれたばかりの長男を病気で亡くし、ショックで合唱指導にも身が入らなくなった時、部員らが「先生、これを指導してください」と持ってきたのが宗教的な合唱曲「大屋根」。部員らに励まされて情熱を取り戻し、その年、同曲で東高を初の全国優勝に導く。
 合唱の要諦(ようてい)は心を込めて歌うことだと悟り、西高に転じて指導力に磨きがかかる。阿部氏のもとで西高は44年から48年の5連覇を含め全国優勝7回、全日本合唱コンクールでも金賞10回に輝く。
 社会音楽活動にも力を注ぎ、各地で合唱団の指導にあたった。文部大臣教育功労賞、斎藤茂吉文化賞などを受賞。
 「先生は生徒のやる気を引き出す傑出した指導者だった」と語るのは東高で指導を受けた山形大学の結城章夫学長(65)。西高OGの「嚶鳴(おうめい)女声合唱団」の柴田典子団長(57)も「どうしたら優勝できるかを一心に追求する求道者のような方でした」と偲ぶ。
 葬儀は14日に約400人が参列してしめやかに営まれ、最後に東高や西高のかつての教え子らが合唱で故人の冥福を祈った。