《追想録》 日本地下水開発 会長 桂木 公平さん
2012年7月27日
7月15日、日本地下水開発会長で県サッカー協会名誉会長なども務める桂木公平氏が急性心不全で亡くなった。86歳。

大正15年に大阪市で生まれ、京大工学部を卒業後、東京のさく井会社に就職。昭和28年に山形県内での仕事に携わったのを契機に37年独立、山形市六日町で社員4人の日本地下水開発を設立する。
当初はさく井事業からスタート、その後、散水消雪事業、温泉採掘事業と次第に業容を拡大していき、52年に開発した当時としては画期的な無散水消雪システムが飛躍を決定付けた。
地盤沈下を招かない同システムは環境に優しいとして全国に波及、平成13年のピーク時には50億円企業に育て上げた。山形はすべての市町村に温泉があることで知られるが、その隠れた立役者でもあった。県産業賞、三浦記念賞、国土庁長官賞などを数多く受賞。
3歳下で交遊は30年以上に及んだという石川堯アイジー工業名誉会長は「友であり先輩であり師だった。理想や夢を追い続ける傑出した経営者で、毎年いっしょに鰻を食べるのが楽しみだったのに」と肩を落とす。
県サッカー協会会長のほか県スポーツ振興21世紀協会副理事長にも就任、モンテディオ山形の創設やJ1昇格などにも大きな功績を残した。
モンテの中井川茂敏ゼネラルマネージャーは「『べにばな国体』に向けた体制づくりから尽力いただき、県サッカーやモンテの歩みを語るうえで欠かせない人だった」と偲ぶ。
桂木家と会社による「お別れ会」が25日、山形市のパレスグランデールで開催された。