<荒井幸博のシネマつれづれ> 必死剣鳥刺し

2010年7月9日
ラストの殺陣が見どころ
 海坂藩主、右京太夫は若く美しい愛妾(あいしょう)の連子を寵愛するあまり、連子が容喙(ようかい)するままに藩政を執り行っていた
<荒井幸博のシネマつれづれ> 必死剣鳥刺し

刑を覚悟の刃傷沙汰に

 そのため藩の財政は逼迫(ひっぱく)し、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に領民は強訴(ごうそ)せざるを得ないほど。奥御殿の浪費を指摘した勘定方は連子によって切腹させられる始末。
 物頭役の兼見三佐ェ門は贅(ぜい)を尽くした城内での能楽鑑賞の直後、衆目の中で連子を刺殺する。愛妻を病で亡くし、死に場所を求めていた三佐ェ門にとり斬首刑を覚悟しての刃傷だった。だが処分は中老・津田民部の計らいで1年の閉門蟄居(ちっきょ)という寛大なもの。
 その間、三佐ェ門の身の周りを献身的に世話してくれたのは亡妻の姪の里尾。一度嫁いだが不縁になり戻った身だった。
 
陰謀、恋慕、忠義

 閉門が解けた後、三佐ェ門は藩主のお側役「近習頭取」に取り立てられる。愛妾を殺(あや)めた自分が出世してしまう摩訶不思議さに大きな疑問を抱く三佐ェ門。実はそこには天心独名流の使い手という三佐ェ門の腕に目をつけた津田の深慮遠謀があった。
 里尾との間にほのかに芽生えた恋慕の情、そして忠義との狭間で三佐ェ門は——。
 
7作目の藤沢周平作品

 山田洋次監督「たそがれ清兵衛」が2002年に公開されて以来、7作目の藤沢周平原作の映画化。ラストの殺陣は壮絶(そうぜつ)というより凄絶(せいぜつ)なもので、三佐ェ門役の豊川悦司に1959年公開の「薄桜記」の市川雷蔵が重なる。

豊川悦司が熱演 

 三佐ェ門の身の回りの世話をする里尾役・池脇千鶴、中老役・岸部一徳、別家・吉川晃司、友人役・小日向文世らの好演が熱演の豊川悦司をより光らせている。
 またロケ地となった庄内映画村、鶴岡市旧風間家住宅「丙申堂(へいじんどう)」や玉川寺(ぎょくせんじ)、遊佐町の田園風景も重要な役割を担う。


<荒井幸博のシネマつれづれ> 必死剣鳥刺し
荒井幸博(あらい・ゆきひろ)

1957年、山形市生まれ。シネマ・パーソナリティーとして数多くの地元メディアで活躍、映画ファンのすそ野拡大に奮闘中。