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悲運の提督/「判官びいき」の系譜

吉良上野介:第10回

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仮名手本忠臣蔵の功罪

 赤穂浪士の討ち入り後、それを題材にした演劇が続々と作られた。近松門左衛門も「兼好法師物見車」、その続編として「碁盤太平記」という人形浄瑠璃を書いた。

 当時、幕府が政治に絡む実話をそのまま演劇化することはタブーで、上演禁止にとどまらず、関係者が処罰される可能性もあった。そこで人物や時代の設定を移して作劇するようになった。
 観客はそれが何の事件の当て込みであるかを承知しているが、幕府はそれを知っていても幕府の批判につながらない程度なら目こぼししていた。
 近松作品では時代設定を室町時代初め、南北朝の争乱期とした。吉良上野介は足利尊氏の執事・高師直に、浅野内匠頭を出雲国の守護・塩冶判官に当て込み、事件の発端は、塩冶判官の妻への高師直の横恋慕という「太平記」中の有名なエピソードを利用している。 

「判官びいき」の系譜/吉良上野介:第10回

 赤穂浪士ものの決定版「仮名手本忠臣蔵」は、この設定を受け継いで寛延元年(1748年)に初演された人形浄瑠璃で、後に歌舞伎でも上演されるようになる。
 歌舞伎は人気役者が不足すると客足が遠のくものだが、忠臣蔵は上演すると必ず大当たりするため、漢方で万病に効く起死回生の気つけ薬「独参湯」になぞらえられるようになった。

 忠臣蔵は太平記に描かれる南北朝時代の出来事と実際の赤穂浪士の討ち入り事件を重ねる「ない交ぜ」と呼ばれる作劇法が特徴。冒頭から高師直の悪玉ぶりを強調、塩冶判官の悲劇的な最期、大石内蔵助とみられる大星由良之助ら浪士が辛苦の末に本懐を遂げるまでの本筋に、恋愛や犯罪など虚実入り交じったサイドストーリーが加わる。

 忠臣蔵が後世に与えた影響は大きい。江戸後期には幽霊の〝お岩さん〟が登場する「東海道四谷怪談」は忠臣蔵のサイドストーリーとして作られた歌舞伎である。パロディ作品は小説でも多数作られ、中国の「水滸伝」とストーリーをない交ぜにした「忠臣水滸伝」という長編小説も出版された。  忠臣蔵が日本演劇史上最高傑作の一つであることは認めるが、高師直すなわち吉良上野介の悪役イメージを定着させるという大きな副産物もまた植え付けてしまったのである。

山大学術研究院教授

山本 陽史(やまもと はるふみ)

和歌山市出身。山大学術研究院教授、東大生産技術研究所リサーチ・フェロー、日本世間学会代表幹事。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る! 探究学習」など多数。米沢市在住。

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