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悲運の提督/「判官びいき」の系譜

吉良上野介:第9回

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忠臣蔵人気の理由を探る

 「忠臣蔵」「赤穂浪士」が広く知れ渡り、今日まで語り継がれているのはなぜだろう。私は4つの理由があると考える。

 第1の理由は、松の廊下での刃傷事件の処分として、内匠頭に切腹が申しつけられたのに対し、上野介には何のおとがめもなかったことだ。
 戦国時代以降、武家社会では「けんか両成敗」という考え方が定着していた。けんかをした者は理非曲直(りひきょくちょく)を問わず両者とも同等の罰を受けた。
 上野介は無抵抗だったので厳密にはけんかとは言えなかったが、恨みを買う振る舞いがあったと推測され、2人がけんかしたと考えることも可能だった。そこで処分が不公平だという印象が世間に定着してしまった。

「判官びいき」の系譜/吉良上野介:第9回

 理由の第2に、れっきとした武士たちが突如失業して浪人になり、辛酸をなめながらもついに主君の無念を晴らすという展開だったことである。
 高貴な人物が訳あって流浪を余儀なくされた挙句、最後に復活するという話の型を「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」と呼ぶ。
 この型の話は数多く、古くは神話のヤマトタケルから、みにくいアヒルの子、おしん、みなしごハッチなどが挙げられる。現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の源頼朝もそうだ。
 赤穂浪士もこの型に属するが、彼らの行動は真の意味での〝仇討ち〟ではない。仇討ちは主君をあやめた張本人を倒す行為で、本来は内匠頭に切腹を命じた将軍や幕閣に復讐するのが筋である。
 だが現実にはそんなことができるはずがない。そこで上野介に矛先を向け、主君が果たせなかった無念を晴らそうとする。これは〝私闘〟と見なされる行動で、そのことは赤穂浪士たちも自覚していたのである。

 第3に、日本人は敗者や非業の死を遂げた人に同情する気持ちが強いことである。赤穂浪士たちは幕府によって全員切腹を申しつけられた。そのことによって事件はさらに美化され、同情されるようになった。源義経に同情する心性「判官びいき」は本シリーズのテーマだが、赤穂浪士たちへも同様の気分が生まれたのである。

 そして最後に、この事件を演劇化した「仮名手本忠臣蔵」が大傑作であったことが挙げられる。次回説明しよう。

山大学術研究院教授

山本 陽史(やまもと はるふみ)

和歌山市出身。山大学術研究院教授、東大生産技術研究所リサーチ・フェロー、日本世間学会代表幹事。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る! 探究学習」など多数。米沢市在住。

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