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悲運の提督/「判官びいき」の系譜

源 義経:第20回

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究極のジンギスカン説

 作家・高木彬光(たかぎ あきみつ)の「成吉思汗(ジンギスカン)の秘密」は、義経がジンギスカンだったという説の謎に迫る長編歴史ミステリーである。
 なぜこのような説が生まれ、何を根拠としているかが詳しく考証されている。昭和33年(1958年)の刊行だが、今なお読まれ続け、この説を世間に広めるのに果たした役割は大きい。

「判官びいき」の系譜/源 義経:第20回

 同書では義経の叔父で鎮西八郎と呼ばれた源為朝(みなもとのためとも)にまつわる伝説も紹介されている。為朝は「保元の乱」で敗れて伊豆大島に流されたが、八丈島など近隣諸島を荒らし回った。そのため討伐を受けて自害したとされるが、実は沖縄に逃れて琉球王の祖先となったという伝説がある。
 滝沢馬琴(たきざわ ばきん)の傑作長編「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」はこの伝説をもとに書かれた江戸後期のベストセラー小説である。為朝伝説が義経渡海伝説の成立発展にも影響を与えたのではないかと私は考えている。

 非業の死を遂げた英雄が実は死地を逃れてどこかで生き延びたという伝説は多数ある。
 西郷隆盛が「西南戦争」で自決せず、ロシアに亡命したという説は以前にも紹介したが、「天目山の戦い」で敗れた武田勝頼は自害せず、土佐国(高知県)に落ち延びたという。
 また、「山崎の合戦」で敗れ農民の落ち武者狩りで命を落としたとされる明智光秀は実は生きながらえ、天海と名を変えて徳川家康に仕えたという説など、枚挙にいとまがない。

 義経伝説はついに世界帝国を作る次元まで発展した。蝦夷征服説やジンギスカン説は、領土をめぐる国家間のせめぎ合いの渦中で意図的に広められたという分析もある。
 中でも東北の人々は藤原氏の滅亡後、その後おかれてきた苛烈な立場を義経の運命と重ね合わせ、生き続ける伝説を生み出し発展させてきたのではないだろうか。

 お許しいただけるなら、小話を紹介してこのテーマを締めくくろう。
 日本から任侠の徒がモンゴルに行きジンギスカン(義経)に謁見(えっけん)した。さっそく仁義を切ろうとしたら「わしは仁義は好かん」と言われたとか。
 「仁義は好かん」→「ジンギスカン」……。

山大学術研究院教授

山本 陽史(やまもと はるふみ)

和歌山市出身。山大学術研究院教授、東大生産技術研究所リサーチ・フェロー、日本世間学会代表幹事。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る! 探究学習」など多数。米沢市在住。

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