山形コミュニティ新聞WEB版

悲運の提督/「判官びいき」の系譜

最上 義光:第1回

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再評価される最上義光

 これまでの連載で取り上げてきた山形ゆかりの歴史上の人物は、その実像がきちんと伝わらず、不当な評価を受けてきた人々だった。今回からはその代表格ともいえる、山形藩初代藩主の最上義光(もがみ よしあき)を取り上げたい。

 義光は生き馬の目を抜く戦国時代を戦略と武勇で生き残り、57万石の大大名にまで上り詰めた成功者である。だがその評判は必ずしも芳しいものではなかった。
 影響したのは昭和62年(1987年)に放送されたNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」だった。伊達政宗の叔父の義光が、ドラマでは主人公に対立するアンチ役として描かれたのだった。
 当時の大河ドラマの影響力はすさまじいもので、熱心な視聴者の中には、ドラマの筋書きをそのまま史実そのものとして受け取る人もいたはずである。そのため義光の知名度は全国区になったが、演じた原田芳雄の名演(怪演?)もあり「悪役」のイメージがすっかり定着してしまった。

「判官びいき」の系譜/最上 義光:第1回

 大河ドラマは主人公を中心に盛り上げるために虚実取り混ぜてストーリーが作られていく。戦国物では特に主人公を引き立てる敵役(かたきやく)の存在が欠かせない。
 「独眼竜政宗」の原作は山岡荘八の長編小説「伊達政宗」であるが、義光はさほどの悪役として描かれているわけではない。脚本を担当したジェームス三木が最上義光を存在感のある敵役に仕立て上げたのだろう。

 だが、最上義光歴史館が開館して実像を伝える取り組みを長年着実に行ってきたこともあり、このところ義光に対するイメージは変わりつつあるようだ。
 研究面でも伊藤清郎氏「最上義光」や、本紙にも連載された松尾剛次元山大名誉教授の「最上家三代の栄光と蹉跌」や「最上氏三代」など、歴史家による研究成果が続々と発表されている。
 さらに、山形市在住の直木賞作家・高橋義夫さんの長編小説「さむらい道」をはじめとして、悪役とは異なる義光の人物像がさまざまな文学作品で描かれるようになった。
 このような機運の中で、「判官びいき」の私なりに最上義光の再評価を試みようと思う。

山大学術研究院教授

山本 陽史(やまもと はるふみ)

和歌山市出身。山大学術研究院教授、東大生産技術研究所リサーチ・フェロー、日本世間学会代表幹事。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る! 探究学習」など多数。米沢市在住。

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