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編集長インタビュー

東北食糧(山形市)社長 村山 修さん

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村山 修(むらやま・おさむ) 1962年(昭和37年)山形市生まれ。市立三小、同五中、山形南高を経て専修大経済学部に進み、卒業後、県内の米穀卸会社で組織する山形県食糧事業協同組合連合会(県食連)グループの山形米穀商業協同組合へ。96年、県食連が米穀事業を系列の東北食糧に移管したことに伴い同社へ転籍。一貫して営業畑を歩み、部長、常務を経て2021年5月から社長。系列の不動産会社「両羽不動産」社長も兼ねる。60歳。

社長就任から1年と4カ月 
  失敗を恐れず若い考え方で

――調べてみると、東北食糧って名門なんですね。

食糧営団の流れを汲み

 「戦時中、米を配給するため全国に設置された食糧営団の流れを汲みます。戦後に営団が解散し、主食米事業を引き継ぐために設立されたのが県食連でした」
 「その後、1995年に新食糧法が施行され競争が激化する中、制約が多い組合組織では対応が難しいということで弊社が事業譲渡を受けたと」
 「ちなみに営団解散後、その機能を継承する目的で県食連会長だった金山國次郎氏が山形県食糧、城北麺工、山米商事、ヤマリョーなど現在の『糧友グループ』を次々に設立しました」
――金山さんは全国団体の全糧連の会長も。
 「戦後の山形経済を牽引(けんいん)されただけでなく、日本の米穀史にも大きな足跡を残された方でした」

負の遺産整理に追われ

――東北食糧さん、直近は苦戦されてません?
 「正直、去年までは明るい材料が少なかったですね。米消費が減少する一方、外食事業に手を出したり、不要な不動産を抱えていたり…。こうした負の遺産の整理に追われていたのは確かです」
――で、社長として白羽の矢が立ったと。
 「前社長の大川好雄会長からは『若い考え方を活かし、失敗を恐れず思い切りやってくれ』と」
――実際にやってみて。

「夢味米」が大ヒット

 「弊社の柱は玄米からぬかを除去し、胚芽を80%以上残した栄養価の高い『胚芽精米』ですが、昨年11月、米袋を真空パック状態にした長期保存可能な無洗米『夢味米(ゆめみまい)』を販売したところ…」
 「1~3月にトンガ沖で海底火山が爆発したり、大分・宮崎県や福島県で大きな地震があったりで、備蓄用として全国から注文が殺到して。楽天市場の米の売り上げ部門で1位になったほど」
 「今月から新米を使った夢味米の販売を始めましたが、早くも12月まで予約で埋まっています」
――へー!
 「コロナで消費が一段と落ち込むなか、普通の米を扱っていれば最終的には価格競争に巻き込まれてしまう。そうならないためには胚芽精米や夢味米のようなオンリーワン商品の追求が不可欠だと改めて痛感してます」

周囲の評価は?

 「あと課題はふるさと納税やネット通販への対応、海外輸出などでしょうか。新たな販路を開拓していかないとジリ貧になってしまう」
――若い考え方ですね。
 「有難うございます」
――アスクの河合克行社長が「東北食糧は社長が変わって雰囲気が良くなった」って(笑)
 「……。何とお答えしたらいいのか(苦笑)」

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