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編集長インタビュー

山形県酒造組合 特別顧問 小関 敏彦さん

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小関敏彦(こせき・としひこ)1956年(昭和31年)川西町生まれ。米沢興譲館高から新潟大農学部に進み、卒業後、県内の酒造会社を経て80年県職員に。県工業技術センターを拠点に酒づくりの指導一筋に歩み、山形を日本トップレベルの酒どころに押し上げた。2016年、同センター所長を最後に県職員を定年退職、以後は県産酒スーパーアドバイザー、山形大客員教授なども務める。地域づくり総務大臣表彰、県科学技術賞、文化庁長官表彰など数多くの受賞歴に輝く。66歳。

「山形を1番に」の思いが原動力
  県産酒の魅力を広く伝えたい

――県の職員でいらしたんですね。

意に反し酒類研究科に

 「大学でバイオ関係を学び、恩師の勧めもあって酒造会社に就職しましたが、会社の方針と自分がやりたかったことが合致しなくて2年で辞めて。ちょうど県職員の技術職に空きが出て、応募したら採用されたと」
 「工業技術センターに入り、前の会社を退職した経緯から酒関係の仕事は勘弁して欲しいと思っていたら、意に反して酒類研究科に配属されてしまって(苦笑)」
――結果的にはそれが小関さんにとっても、県酒造業界にとっても僥倖(ぎょうこう)だったわけで。
 「当時の心境としては『またかよ』って感じでしたけどね(苦笑)」
――で、最初に手をつけられたのが?

研醸会を組織

 「当時、県産酒は品質ではそこそこ定評があったけど、全国的な知名度は低かった。そんな状況を打破するため、業界内で『みんなでいい酒をつくろうぜ!』という機運づくりから始めました」
 「そのために酒造会社のトップや技術者らで組織する『山形県研醸会』を発足させ、県を挙げて品質向上を目指す態勢を整えた。これは現在も続けていて、会員数は100人に達しています」
――他県では例がない取り組みでしょうね。
 「あと、酒づくりの基本は酒米づくり。県水田農業研究所と協力して酒造好適米『出羽燦々(さんさん)』の開発にこぎつけ、純米吟醸酒『DEWA33』を投入したのが1995年だったかな」
 「酒米づくりでは、その後も純米酒用『出羽の里』、本醸造や普通酒用『出羽きらり』、さらに世界に誇れる最高峰の酒質に適した『雪女神』を開発しています」

嬉しかったGI認定

――その間、県産酒の評価はうなぎ上(のぼ)りで。
 「一連の取り組みが評価され、2016年に山形の日本酒が全国で初めて地理的表示(GI)に指定されたのは嬉しかったですね。山形でつくられるすべての日本酒の品質が高いことが認められたわけだから」
――工技センターの所長もされたんですね。
 「技術職としては初めてと聞いてます」
――直前は本庁にも。
 「2年間、商工関係の課長職を務めました」
――向いてなさそう、ツラかったでしょ(苦笑)
 「当たり前でしょ、聞かないでよ(苦笑)」

時代と人に恵まれた

――閑話休題。県史に残る業績を挙げられて。
 「時代と人に恵まれました。原動力になったのは『山形を1番にする』という思いでしょうか」
――まだまだ県酒造業界をけん引して下さい。

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