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編集長インタビュー

ヤマケン(山形市) 社長 庄司 修さん

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庄司 修(しょうじ・おさむ)1975年(昭和50年)山形市生まれ。山大附属小・中学校、山形東高から東北大経済学部に進み、卒業後、トヨタ自動車グループの総合商社・豊田通商へ。自動車部品輸出などを担当、南アフリカやインドでの新規事業の立ち上げなどに携わったほか、労働組合委員長、トヨタへの出向も経験。2023年3月に顧客統括部室長を最後に同社退職、4月、ヤマケン4代目社長で現会長の父・亨氏の後を襲って5代目社長に就任。山建工業(山形市)、山建設備(同)社長、ヤマケンマシナリー(同)専務も兼ねる。48歳。

29年ぶりに戻ってきた山形
 培った経験いかして貢献したい

――社名から、いかつい感じの社長さんかと思ってました(苦笑)

住関連資材を取り扱い

 「私が生まれたのは山形市幸町で、『そば処庄司屋』の裏あたり。実は庄司屋はうちの本家で、1歳上の信彦社長ははとこ。私は3人兄弟の1番上で、弟が専務の哲、シンガー・ソングライターの庄司紗千は妹です」
 「ヤマケンは1948年に北山形駅西口で創業した山形建材が前身で、建材卸として主にBtoB(企業間取引)で台所や浴室、トイレなどの住宅設備を扱っています。ホームセンターヤマケンや、リフォーム工事のヤマケン新生活館を展開しているのも弊社です」
 「グループには建設下請工事の山建工業、管工事の山建設備、空調設備のヤマケンマシナリーも。全体としては、衣食住のうち『住』の領域でいろんな事業をやってる企業グループとご理解いただければ」

悩んだ退職・Uターン

――社長に就任されたのは、満を持して?
 「全然。弟がグループ内にいましたし、25年勤めた豊通では責任ある仕事を任され、海外の現地法人の社長になりたいという希望も出してましたから。父が体調を崩し、昨年10月に(社長就任を)打診された時は、それこそ晴天の霹靂で」
 「悩みました。でも考えに考えた末、豊通のような大組織には自分の代わりは何人もいるだろうけど、海外などで培った経験をいかせれば地元で誰にもできない貢献ができるんじゃないかと。グローバルとローカルの架け橋になるつもりで、高校卒業以来29年ぶりに山形に戻ってきました」
――戻られて7カ月余り。どうですか?

人口減少社会に対応

 「毎日が勉強の日々ですが、地方における人口の減少ペースの速さに驚いてます。人口が減れば税収の減少などはもちろん、『住』を取り巻く環境も悪化します。住宅着工は減るし、空き家も増える。労働力不足や職人不足も加速するでしょう」
 「ヤマケングループの取引先はざっと1000社超。こうした諸問題に対し、解決方法を提案できる企業になりたい。そのためにはIT(情報技術)を駆使したり、海外企業との連携など、従来にはなかった手法も駆使していかないと」
――たいへんな作業になりそうですね。
 「それだけに、やりがいも感じてます」

「役者顔」「瓜実顔」

――松岡修造さんに似てるって言われない?
 「言われますね。あとは歌舞伎俳優の中村七之助さんにも(苦笑)」
――あと阪神タイガースの近本光司選手も(笑)

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