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セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》第166回 山交バス旧清住町営業所(山形市)

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 山形市清住町の山交バス営業所は、かつて市内に複数あった同社営業所の最後の〝砦〟である。

《セピア色の風景帖》第166回 山交バス旧清住町営業所(山形市)

 分社化によりユトリアグループの山交バスになる以前、山形交通のバス部門だったころには鉄砲町の本社、千歳公園、末広町、大野目など市内各所に営業所は点在しており、路線は毛細血管のように網羅していた。今よりはるかに便利な体制が整っていた。
 運賃管理や乗客の世話、踏切通過の安全確認などを担う車掌が同乗していた昭和40年代中盤までは、道路経由の交通手段の主役はバスだった。

《セピア色の風景帖》第166回 山交バス旧清住町営業所(山形市)

 それ以降はしかし、自家用車の急速な普及に伴ってバスの需要は次第に減少していく。会社では車掌のいないワンマン化や、観光バスを路線バスに再利用するなど経費削減にも取り組んでいたようだが、客離れは止まらず、路線の削減も相次いだ。
 路線が削られ不便になると、乗客はさらに減って再度の路線削減に追い込まれるという悪循環が続いた。バスは年寄りと子どもの交通手段というイメージが定着し、マイカー保有者がバスを利用することは希になった。

 発券所まで備えていた千歳公園の営業所は待合所に〝格下げ〟になり、本社さえも富士ゼロックスと、アサヒビール園を経てパチンコホールのベガスベガスに変貌した。
 末広町の営業所はコンビニになったあとマンションに、大野目の営業所跡はそっくりそのままヤマダ電機になった。
 最後に残った清住町の営業所が解体され始めた時、バスの拠点はついに大町車庫と山交ビルに移行されるのかと思ったが、蓋を開けてみれば道路拡幅による更新であり、営業所は残った。

 昨今は地球温暖化対策が叫ばれ、乗用車の選択基準として「環境に優しい」がキーワードになる時代。公共交通機関の利用はその潮流に沿った選択肢になるはずだが、バス復活につながる様子が見えないのが残念だ。(F)

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