セピア色の風景帖
《セピア色の風景帖》第181回 光禅寺太鼓橋(山形市)
明治の初め、当時の県令(知事)三島通庸(みしま みちつね)が土木建設事業に力を入れたことから、県内にも多くの石橋が建設された。三島は薩摩藩出身だったため、石造アーチ橋で実績のある九州の職人が招聘(しょうへい)され、技術指導にあたったようだ。
明治の初め、当時の県令(知事)三島通庸(みしま みちつね)が土木建設事業に力を入れたことから、県内にも多くの石橋が建設された。三島は薩摩藩出身だったため、石造アーチ橋で実績のある九州の職人が招聘(しょうへい)され、技術指導にあたったようだ。