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悲運の提督/「判官びいき」の系譜

吉良上野介:第7回

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有力な「逆ギレ」説

 内匠頭はなぜ「逆ギレ」したのだろうか?
      
 今も昔も儀式というのは何かと作法がやかましく、〝物入り〟なものである。まして有職故実(ゆうそくこじつ)の本家である朝廷の使者をもてなす「勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)」は面倒な手順を踏まなければならず、誰もやりたがらない仕事だった。
 饗応役ともなると儀式に精通している「高家(こうけ)」の指図を受けることになる。落ち度がないよう教えてもらうには、相応のお金や贈り物を届けることが欠かせなかった。
 今では犯罪に当たる贈収賄やワイロとは異なり、中元や歳暮のイメージか。もっとも、昨今は中元や歳暮すらも廃(すた)れつつあるようだが…。

「判官びいき」の系譜/吉良上野介:第7回

 十八世紀後半に老中を務めた田沼意次(たぬま おきつぐ)は〝ワイロ政治家〟という汚名を着せられている。私も受験勉強でそう教わったが、近年では政治手腕が高く評価されている。
 田沼は長期にわたり幕閣の中心にあったため、各所からの付け届けが集中した。田沼への悪評は彼の失脚後、追い落とした側が自分たちを正当化するため意図的に広めたものであろう。

 話を本題に戻そう。饗応役は勅使接待費に加え、高家への付け届けも相当額見込む必要があったが、内匠頭はそれらを節約したと見られる。
 それを知った上野介は、朝廷への幕府の体面が保てなくなるとして反対したと伝えられる。同時に、儀式指南役としての自分への敬意が足りないと感じたであろう。
 上野介は内匠頭に儀式の手順をきちんと指導しなくなった。その結果、浅野の勅使接待は不手際を重ねることになったと考えられる。
 同時代の武士の日記によれば、上野介は内匠頭がいる面前で老中に対し、内匠頭の接待は全くダメで、勅使たちも不快に思っていると批判したという。
 自身が体面を傷つけた上野介から、今度は自身の体面を傷つけられたのである。そこで内匠頭は上野介に遺恨を持ち、殿中で襲ったのであろう。これが逆ギレである。

 当時の武士は〝体面〟〝面目〟を最も重んじ、人前で恥をかかされるのは耐えがたいことであった。上野介、内匠頭ともに互いに面目を潰された結果が刃傷事件になったと私はみている。

山大学術研究院教授

山本 陽史(やまもと はるふみ)

和歌山市出身。山大学術研究院教授、東大生産技術研究所リサーチ・フェロー、日本世間学会代表幹事。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る! 探究学習」など多数。米沢市在住。

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