山形コミュニティ新聞WEB版

悲運の提督/「判官びいき」の系譜

源 義経:第4回

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最上川に残る義経伝説

 米沢に伝わる伝説では、平泉を目指す義経と弁慶の逃避行は会津から米沢を経由したことになっているが、一般には日本海を北上し、羽黒山のある庄内から最上川をさかのぼっていったとされている。
 最上川沿いには至るところに義経と弁慶の伝説が残されている。

「判官びいき」の系譜/源 義経:第4回

 私的な話で恐縮だが、私が初めて戸沢村で最上川の舟下りを体験したのは山形大学に就職した1988年(昭和63年)の初夏だった。船頭さんの最上川舟唄や軽妙な語りを引率した学生たちと大いに楽しんだ。その説明で義経ゆかりの場所が多いことに気づかされた。
 船中で一同が爆笑したのは、川岸に半球状に突き出している「弁慶のつぶて石」の由来であった。弁慶が対岸から力だめしに石を投げたところ、石が地肌にめり込んで隆起したのだという。

 弁慶には怪力伝説が日本各地に残る。例えば三重県四日市の大日寺にある「弁慶石」は弁慶が近江国(滋賀県)からはるばる運んだのだという。
 香川県高松市の「弁慶の投げ石」は、弁慶が太刀で巨石を跳ね上げたら2キロメートル余り飛んで落ちたものだそうだ。
 弁慶は義経に劣らぬ人気キャラクターだ。一行は弁慶をリーダー役に仕立て羽黒の山伏に身をやつしていた。能登国(石川県)の安宅(あたか)の関を通過しようとした際、関守は義経たちではないかと怪しみ、行く手をさえぎる。弁慶との緊迫感あふれるやりとりが能「安宅」や歌舞伎「勧進帳」に脚色され、今に親しまれている。

 最上川にはほかにも義経伝説が残る。義経の一代記「義経記(ぎけいき)」には、一行が乗った舟から最上峡の北壁を流れ落ちる白糸の滝を見て、北の方(義経の妻)が和歌を詠んだと記されている。いずれも最上川の波の高さ、すなわち急流のさまを詠んでいる。
 「最上川 瀬々の岩波せき止めよ 寄らでぞ通る 白糸の滝」
 「最上川 岩越す波に月冴えて 夜面白き 白糸の滝」

 松尾芭蕉は「奥の細道」の最上川の条で、船中から仙人堂・白糸の滝を見たことを記してもいる。むろん義経伝説を意識してのことであるのは言うまでもない。

山大学術研究院教授

山本 陽史(やまもと はるふみ)

和歌山市出身。山大学術研究院教授、東大生産技術研究所リサーチ・フェロー、日本世間学会代表幹事。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る! 探究学習」など多数。米沢市在住。

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