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悲運の提督/「判官びいき」の系譜

源 義経:第5回

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新庄まつりと義経伝説

 ユネスコ無形文化遺産に登録された「新庄まつり」。町内単位で組織する〝若連(わかれん)〟が毎年趣向を凝らした山車(やたい)をこしらえて引き回す。
 風流な山車の題材は伝説や古典文学から選ばれるが、中でも義経伝説に基づく山車は例年必ずと言っていいほど登場する。義経がいかに新庄の人びとに愛されているかの証左だろう。

「判官びいき」の系譜/源 義経:第5回

 2015年(平成27年)に遡(さかのぼ)るが、上茶屋町若連の山車は「風流 亀割(かめわり)~瀬見温泉開湯由来~」と題されていた。
 最上町の瀬見温泉が義経の逃避行の途中、弁慶によって発見されたという説に基づく。山車には弁慶の温泉発見の場面や赤子に産湯(うぶゆ)を使う場面などが再現されていた。
 最上川は本合海(もとあいかい)で新田川と合流し、八向山(やむきやま)にぶつかり流れる方向を大きく変える。舟で川をさかのぼっていた義経一行はここで上陸したとされる。日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀(まつ)る八向山中腹の矢向明神(やむきみょうじん)を拝んだ後、一刻も早く平泉へと東に向かう。
 そのルートは新田川に沿って亀割山に向かったと考えるのがもっとも有力である。途中、一行が休息したとされる地点は「休場(やすんば)」という名になった。今も義経を祀(まつ)った判官神社がある。

 さらに一行は最上小国川方面に抜けるため亀割山に分け入った。亀割峠のあたりで義経の正妻の北の方が産気づき、男の子を産んだ。
 亀若丸と名付けられた赤子の産湯を探して弁慶が小国川のほとりに降りていくと、湯気を噴いている大岩があった。そこで長刀(なぎなた)で砕いたところ、湯が吹き出したという。「薬研(やげん)の湯」と呼ばれている川中の岩風呂で、現在も高温の湯が湧き出ている。長刀の名が「せみ王丸」であったので、「瀬見」温泉の名の由来になったとされる。

 瀬見周辺には義経ゆかりの場所が数多く残る。一行が小休止したという「湯前(ゆのまえ)神社」、北の方のお産の際に加護があった観音を祀る「亀割子安観音」、出産の際の産屋の跡という「山神社(やまのかみしゃ)」、弁慶が亀若丸誕生を祝い峠の頂から投げた松が根付いた「弁慶の投げ松」など枚挙にいとまがない。     
 今年の新庄まつりにも「義経千本桜」「碇知盛(いかりとももり)」「那須与一」と義経にまつわる山車が3台も出て祭りを盛り上げた。

山大学術研究院教授

山本 陽史(やまもと はるふみ)

和歌山市出身。山大学術研究院教授、東大生産技術研究所リサーチ・フェロー、日本世間学会代表幹事。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る! 探究学習」など多数。米沢市在住。

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