山形コミュニティ新聞WEB版

編集長インタビュー

曙印刷(山形市)社長 川合 勝芳さん

Share!

川合 勝芳(かわい・かつよし)1955年(昭和30年)上山市生まれ。山形工業機械科を卒業後、山形
市内の設計会社に入社。勤務の傍ら山形工業建築科(定時制)を卒業。その後、山形駅前での喫茶店
経営などを経て79年、父親が76年に創業した曙印刷へ。常務を経て92年から社長。これまでに山形商
工会議所青年部会長、第4回、第10回日本一の芋煮会フェスティバル実行委員長などを務めたほか、
現在も山形商工会議所の企画委員長、県印刷工業組合専務理事、県バレーボール協会専務理事、県中
小企業家同友会代表理事などを務める。68歳。

本業の傍ら社外でも八面六臂(はちめんろっぴ)
   人脈づくりの大切さを痛感

――その昔、弊紙の印刷をお願いしてみたこともありましたよね。
 「うちは大型設備がないもので…。お力になれず申し訳なかったです」
――今は印刷業界、大変じゃないですか?

事業領域の転換を模索

 「一般の紙を使った印刷物は需要の減退傾向が顕著。新規顧客の開拓には価格競争しかなく、それは我々のような中小企業には難しい。だとすれば違った分野で特徴を出していくしかない」
 「具体的には事業領域を紙から映像、ウェブ、SNSへと広げ、印刷物の企画デザインだけでなく、顧客がより効果的に広報するためのマーケティングやアドバイスに磨きをかけていく方向に舵を切ってます」

バレーで国体ベスト4!

――社業の傍ら各種の団体で重責を担われて。
 「断り下手で、いろんな役職を受けさせられちゃうんですよ(苦笑)」
――最も大変なのは?
 「今はバレーボールかなあ。プレステージ・インターナショナルアランマーレが4月9日に初の1部昇格を決めたでしょ。望外の喜びだけど、これを機に協会としてもこれまで以上に普及、強化、改革に本格的に取り組んでいかないと」
 「こう見えて高校時代はバレー部で、エース兼セッター。1997年に大阪府で開かれた「なみはや国体」には40歳以上の9人制で県代表として出場し、ベスト4までいったんだから」
――へ~え。
 「あと片手間でやれないのは中小企業家同友会ですかね」

同友会代表理事を2回

――傍から見てても、同友会は凄いって思う。
 「同友会で重視してるのは『人を生かす経営』。社員と一緒に経営者がどう成長していくかが企業の将来を左右するということを念頭に置き、経営指針の作成と実践にメンバーが取り組んでます。同友会に入って考え方が変わったという経営者は多いんですよ」
――ティスコ運輸、サニックス、カーサービス山形とか、経営者の皆さん、溌剌(はつらつ)とされて。
 「みんな、劇的に成長しましたよね。個性的で優秀な仲間たちのトップに座らされて、こちらも学ばせてもらってます。まとめるのも大変ですけど(苦笑)」
 「代表理事は5年目。その前は相談役理事を6年、その前の6年も代表理事で、2度目のお仕えということに(苦笑)」

〝持ってる〟?

――若かりしころは…。
 「会議所青年部の立ち上げに参画し、芋煮会フェスティバルの実行委員長も2度。これも人脈づくりに活かされてます」
――川合さん、〝持ってる〟んでしょうね。

記事閲覧ランキング

  • 24時間
  • 週間