山形コミュニティ新聞WEB版

悲運の提督/「判官びいき」の系譜

源 義経:第1回

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各地に残る義経の足跡

 このシリーズの「判官びいき」の「判官」とは、ご存じのように通称・九郎判官、源義経のことである。
 今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では無類の戦好きとして描かれていたが、様々な義経像が繰り返し文学芸術作品に登場するのは彼の不滅の人気の表れだろう。 その義経ゆかりの場所が県内各地にあるのをご存知だろうか。それらが事実かどうかを論じるつもりはないが、義経や彼に関わった奥州藤原氏などへの哀惜を今に伝えている点で歴史的価値があると思っている。
 今回から判官びいきの本家本元である義経と山形・東北との関わりをテーマに筆を進めていきたい。

 JR米沢駅前の住宅地の一角に「佐氏泉公園」という小さな公園がある。市広報誌「城下町ふらり歴史探訪」によると、明治初期に公園制度が定められた直後にできた市最初の公園で、奥羽南線開通後、周囲は殷賑を極めていたという。
 公園名の「佐氏」は「佐藤氏」の略で、奥州藤原氏の重臣・佐藤一族を指す。池からかつて清水がこんこんと湧いていたことから「佐氏泉」と名付けられた。
 佐藤一族で義経の忠臣となった佐藤継信・忠信兄弟は、この清水で産湯を使ったと伝えられる。
 佐氏泉公園から南に少し行ったところに「常信庵」という寺がある。ここには平家滅亡後に兄頼朝にうとまれた義経が平泉に落ち延びる途中で立ち寄り、接待を受けたと記す石碑が立っている。

「判官びいき」の系譜/源 義経:第1回

 一般に佐藤一族の本拠地とされ、兄弟の墓があるのは福島市飯坂にある医王寺である。松尾芭蕉の「奥の細道」には医王寺に立ち寄ったことが記されている。この場面は山形美術館所蔵の与謝蕪村筆「奥の細道図屏風」にも描かれる。
 最近、蕪村筆の奥の細道の巻物が見つかったというニュースがあった。
 芭蕉のみちのくの旅の目的の一つは、源平合戦ゆかりの人々の足跡を訪ねることだった。芭蕉の墓は遺言によって義経が滅亡に追い込んだ源義仲の墓と背中合わせにある。芭蕉のそんな思いをむろん蕪村は知っていた。あえてこの場面を描いたのだ。

 では米沢になぜ佐藤一族ゆかりの場所があるのだろうか。

山大学術研究院教授

山本 陽史(やまもと はるふみ)

和歌山市出身。山大学術研究院教授、東大生産技術研究所リサーチ・フェロー、日本世間学会代表幹事。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る! 探究学習」など多数。米沢市在住。

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