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ホテルキャッスル(山形市)42年の歴史に幕/ケン、再開を模索へ

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 山形市十日町のシティホテル「ホテルキャッスル」が12月31日の営業を最後に閉館する。建物の老朽化による建て替えが理由だが、再開時期などは未定で、42年の歴史にひとまず幕を下ろす。同ホテルの歴史や今後の見通しなどを探った。

ホテルキャッスル(山形市)42年の歴史に幕/ケン、再開を模索へ

八千代グループ系

 かつて「稲荷角(いなりかど)」と呼ばれた十日町4丁目の交差点の一角に、ホテルキャッスルがオープンしたのは1981年(昭和56年)。


 オーナーは47年に一代で山形三菱自動車販売(山形市)を興し、八千代交通(同)、八千代観光(同)などで構成する「八千代グループ」をつくりあげた土屋武雄氏(写真、94年没)だった。

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 土屋氏は若いころからホテル経営の夢を持っていたとされ、キャッスルに先立つ73年にはJR山形駅前再開発事業の第1号として「ホテル山形」を開業している。ちなみにホテル山形は2001年に太陽建設(寒河江市)に経営が移り、「ホテル東陽」「ソーレインホテルズ」と名称を変えて現在は休館中。

ホテルキャッスル(山形市)42年の歴史に幕/ケン、再開を模索へ

本格的シティホテル

 ホテル山形はビジネスホテルだったが、キャッスルは宴会場10を備えた本格的なシティホテル。それ以前にあったシティホテルは69年開業の「オーヌマホテル」(2008年閉館)、71年開業の「山形グランドホテル」、74年開業のホテルサンルート山形(現ホテルクラウンヒルズ山形)の3館だけだった。

山形新聞は〝黙殺〟

ホテルキャッスル(山形市)42年の歴史に幕/ケン、再開を模索へ

 既存3館の客室数が60~100だったのに対し、キャッスルは160と最大。にもかかわらず、開業の模様や、その後の同ホテルで催されるイベント行事などが〝地元紙〟の山形新聞に掲載されることは皆無だったという。


 当時、山新グループの総帥として県政財界を牛耳っていたのは「天皇」と呼ばれた服部敬雄氏(91年没)で、土屋氏率いる八千代グループは目障りな存在だったのだろう。2015年までグランドホテルは山新グループの傘下にあり、競業ホテルの動静は徹底して黙殺したとみられる。

ホテルキャッスル(山形市)42年の歴史に幕/ケン、再開を模索へ

07年にケンに事業譲渡

 それでも92年の山形新幹線の開業、日本ホテル協会への加盟、全日空ホテルとの業務提携などで経営は軌道に乗るが、2000年代に入ると成長に陰りが出始める。

ビジネスホテル全国チェーンの進出による競争激化や、八千代グループのリストラなどもあり、07年に山形三菱は太平興業(東京)の傘下に、キャッスルは不動産業のケン・コーポレーション(同)に事業譲渡し、八千代グループは事実上瓦解した。

老朽化で決断

 ケンによれば、直近は新型コロナウイルスが5類に移行したことで宿泊数、宴会数も増加傾向にあるが、老朽化も進んでおり、建て替えが急務と考え閉館に踏み切ったとしている。

ホテルキャッスル(山形市)42年の歴史に幕/ケン、再開を模索へ

Kアリーナ横浜開業

 国内・海外に37のホテルを展開するケンは、山形市の百貨店・大沼の経営再建にあたるとしながら結果的に破綻させたどこぞの投資ファンドとやらと違い、赫々(かっかく)たる実績を積んでいる。


 9月には横浜市みなとみらい(MM)地区で世界最大級の音楽アリーナ「Kアリーナ横浜」と横浜初進出となる「ヒルトン横浜」を開業して全国の注目を浴びた。

「条件整えば再開」

 「またマンション?」「ひょっとしてドラッグストア?」といった憶測が飛び交う稲荷角だが、やまコミの取材にケンは「条件が整い次第、建物を解体して新ホテルを建設し、営業を再開したい」と明言している。

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