山形大学学術研究院教授 山本 陽史さん

2021年9月10日
山本 陽史(やまもと・はるふみ) 1959年(昭和34年)和歌山市生まれ。横浜翠嵐高から東大文学部に進み、同大大学院修士課程修了後1988年に山形大教養部講師に。助教授から2000年に明海大(千葉県浦安市)に転じ、07年再び山大へ。現在は教授としてエンロールメント・マネジメント部に所属。専攻は日本文学・文化論。著書に「山東京伝」「江戸見立本の研究」「東北から見える日本」「なせば成る!探究学習」など。やまコミで「判官びいきの系譜 南雲忠一」を連載中。趣味はトランペット演奏。米沢市在住、62歳。
山形大学学術研究院教授 山本 陽史さん

陽の山本五十六、陰の南雲忠一
  不当な評価を覆していきたい

――実は、南雲忠一って人を知ったのは最近で。

「米沢の海軍」の系譜

 「旧米沢藩士の家に生まれた南雲は幼少期から成績優秀で、旧制米沢中学(現米沢興譲館高)から当時のエリートが集まる海軍兵学校に進みました。南雲もそうですが、山下源太郎、工藤俊作など米沢出身で海軍で栄達した人は多いんですよ」
――知りませんでした。
 「現役時に海軍中将まで昇りつめた南雲は連合艦隊司令長官の山本五十六のもとで真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦の指揮をとります。山本は戦地には赴いていません。結果はご存知のように、真珠湾は大勝利、ミッドウェーは大惨敗。一般に真珠湾は山本の功、ミッドウェーは南雲の罪みたいに喧伝されていますね」
――割食ってますよね。
 「確かに山本は魅力的ですが、南雲にもそれに劣らない魅力がある。最後はサイパンで悲劇的な死を遂げますが、連載では知られざる南雲の実像に迫り、再評価につながれば嬉しいですね」
――ところで、どうして日本文学の道へ?

専門は江戸文学

 「きっかけは高校時代に井上ひさしの『手鎖心中』を読んで感動し、江戸時代の文学を研究したいと。高校が自由闊達な校風で、周りも政財官界より学者を目指す人間が多かったですね」
 「井上ひさしは川西町出身。高校の卒業生には酒田市出身の写真家、土門拳がいます。この道に入り、松尾芭蕉が東北を旅して記した『奥の細道』は研究テーマでした。山形とは縁があったのかも知れませんね」

山大を全国に発信

――普段のお仕事って?
 「授業もやりますが、私の主な担当は入試広報で、全国の高校を回って山大をPRするのが仕事です。あの手この手を使って受験者数を増やそうと。現在はコロナでリモートでの活動ですが」
――どんなところをPRしてるんですか?
 「山大って超難関大という位置づけじゃないけど、卒業してから活躍している人が少なくない。そのあたりの成長プログラムの充実ぶりや、親御さんたちには地方都市ならではの治安の良さとか物価の安さを訴えたり」

日本世間学会代表幹事も

――そういうお仕事って研究者としては不本意なんじゃないですか?(苦笑)
 「やってみると、これが意外に面白い(笑)。もともと他人と違うことをやるのが好きで、引き出しは多い方がいいと」
 「あとムードに流されるのが嫌い。だから社会学の対極にある『世間学』なんかにも興味があって、日本世間学会の代表幹事も務めてます」
――そのあたり、判官びいきの系譜ですね。