吉田屋旅館(山形市)社長 ノーレン 千草さん

2021年7月9日
ノーレン 千草(のーれん・ちぐさ) 1968年(昭和43年)山形市蔵王温泉生まれ。蔵王三小→蔵王二中→山形西高から跡見学園女子大(埼玉県新座市、現在は東京都文京区)に進み、卒業後に郷里に帰郷。1年半のグアム語学留学などを経て30歳の時に英語を使う職場を求めて青森県三沢市の米軍基地へ。そこで国防省職員のカルビン・ノーレン氏と知り合い34歳で結婚。夫の転勤に伴い米テキサス州フォートワース、横田基地と移り住み、実母の看病のため2010年に再び帰郷。18年に常務を務めていた実の兄が急逝、翌19年に社長だった実父の死去に伴い同年から社長。52歳。
吉田屋旅館(山形市)社長 ノーレン 千草さん

旅館業、目先はコロナで苦戦も
  新時代への対応で再生は可能

――結構、波乱に富んだ人生みたいで。

吉田屋、江戸中期創業

 「蔵王温泉の高湯通りにある吉田屋旅館の創業は江戸中期で、姉妹館として1989年開館のオークヒルがあります。老舗の部類ですが、3歳上の兄が家業を継ぐのが暗黙の了解事だったから、私は好きなことをやらせてもらっていて。英語が好きだったんですね」
――でも、三沢基地まで行かなくても(苦笑)
 「あそこの職員って準公務員なんですよ。求人は欠員が出た時に限られているから狭き門で、私も20回以上挑戦してやっと採用してもらえた」
 ――普通、女性で英語を使う仕事といったら、外資系企業の秘書とか、通訳とか選ばない?
 「都会で暮らすのが苦手で…(苦笑)。電車での移動や狭い家がイヤ。だから選択肢は必然的に東北ということに。結婚や転居を経て、蔵王に戻ったのが11年前です」
 「実はその年に夫が韓国に転勤する辞令が出て。母が寝たきりになったのと重なり、夫と一緒に韓国へは行けないと。だから今は〝別居婚〟。子どもはいません」 

図らずも社長に

 「看病の傍ら、母に代わって女将業に追われていたら、3年前に兄が死に、8カ月後に父も。その8カ月後に母も亡くなって私1人が残された」
 「後を継ぐ予定も、その気も全くなかったのに、2年前に否応なく社長を務めることになっちゃいました(笑)」
――いざなってみて、どうですか?

伸びしろある蔵王温泉

 「蔵王温泉の旅館業という仕事は面白い。情緒ある温泉や大自然、雪質のいいスキー場という資源に恵まれ、訴求の仕方によってはまだまだ伸びしろはあると思う。コロナは逆風ですが、蔵王に長期滞在してリモートで仕事をするといったニーズも出てきているし」
 「多様なニーズやテクノロジーの進歩で観光業も変わっていく必要がある。そんな危機感から高湯通りの若手経営者が集まって街づくり会社『湯50』を設立したのが2年前。今後はカフェの展開を通じて温泉街のにぎわいを創出したいですね」
 「いろんなことにチャレンジしていくうえで社長業は面白いけど、決算書に目を通したりするのは苦手かな(苦笑)」

ペット同伴でも先駆け

――新時代への対応といえば、ペット同伴の取り組みも早かったですよね。
 「もう15年以上前から。今、日本では子どもよりペットの方が数が多いんだから。吉田屋でもペット同伴が可能な部屋から埋まっていきます」
――近々、我が家で飼ってる柴犬(コミ太)同伴でお邪魔します(笑)