ハナゾノ(山形市)社長 花園 朋一さん

2021年4月9日
花園 朋一(はなぞの・ともいち) 1953年(昭和28年)山形市七日町生まれ。山形商高から専修大商学部に進み、4年時にはフローリスト専門学校の夜間クラスにも通う。76年に専修大と専門学校を卒業後、生花店大手の花弘(東京)を経て79年に実家の生花店ハナゾノへ。父親で先代社長の克之介氏の急逝に伴い83年、30歳で社長就任。これまでの間、山形生花商組合理事、旭銀座のれん会専務理事なども務めた。フラワー装飾技能士1級の資格を持つ。67歳。
ハナゾノ(山形市)社長 花園 朋一さん

感性を磨いて流行を取り入れ
  ニーズに対応すれば道は開ける

――花屋さんで「花園」姓、最高ですね。 

ルーツは常陸の国

 「茨城県北茨城市に平安時代創建の花園神社というのがあり、周辺には花園姓が何件かあるようです。先祖は代々、花園神社の神主を務めていたと聞いています」
 「高祖父の代に戊辰戦争が起こり、官軍の進攻を避けて縁があった山形市平清水に逃れてきて、そのまま土着したと。七日町で花屋を始めたのは祖父で、創業は1916年(大正5年)です」
――そんな老舗の3代目を30歳で継がれて。
 「当時は経営なんて分からないし、人脈もないし。それで山形商工会議所で発足したての青年部に入り、一から勉強させてもらって。89年から始める『日本一の芋煮会フェスティバル』の立ち上げで、仲間と侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を戦わせたのも懐かしい思い出ですね」
――どんな議論を?

青年部で鍛えられ

 「私は生来、慎重なタチで、『鍋が割れないか』とか『火が周辺に燃え移ったらどうする』とか、そんな心配ばかりしていた(苦笑)。血液型?典型的なAです」
 「ただ議論を通じて、やっぱり時には積極性も必要なのかなと。ちなみに第8回の芋煮会では実行委員長を務めました」
――長年、商店街活動もされてましたよね。
 「本当は目立つことは苦手なんだけどね(苦笑)」

本業、コロナで苦戦

――最近、本業の方は?
 「コロナで参ってます。生花店の売り上げの多くは冠婚葬祭向けに依存していますが、もともと大手のホールは内部に生花部門を抱えていて、我々のような外部の業者が参入するのは難しい」
 「それでも営業努力で何とか食い込んでいたのが、今はコロナを理由に外部の業者は締め出されるケースが増えてます」
 「飲食店などに花を飾る〝生け込み〟も、山形市に緊急事態宣言が出される以前は七日町周辺の7~8店に納入していましたが、現在はほぼゼロ。時短に取り組む飲食店には協力金も支給されますが…」
――納入業者への補償はないんですもんね。

個人向けギフトに活路

 「ただ下を向いてばかりいても仕方がない。当店では10年も前からプリザーブドフラワーなどを使ったギフト商品に力を入れていて、この分野をより強化していきたい」
 「最近はSNSで火がついて全国的にドライフラワーも人気です。感性を研ぎ澄まして流行を取り入れ、顧客ニーズに沿った商品を提供していけば道は開けるのかなと」
――SNSもされるんですか?
 「そのあたりは息子夫婦に任せて(苦笑)」