黒澤ファーム 代表 黒澤 信彦さん

2017年6月23日
黒澤 信彦(くろさわ・のぶひこ) 1964年(昭和39年)南陽市で500年近く続く米農家の長男として生まれる。置賜農業高校卒業後、3年間の自衛隊生活を経て61年に実家に戻り就農。特別栽培米にこだわり、農協を通さない直販ルートで東京の老舗料亭「なだ万」やホテル「パークハイアット」などに販路を広げているほか、東南アジア向けに輸出も。4月、農作物の安全や環境保全への取り組みを認証する国際基準「JGAPアドバンス」を米の分野で全国で初めて取得し話題を集めた。52歳。
黒澤ファーム 代表 黒澤 信彦さん

暗くない米作の将来
  やり方次第で展望は開ける

――先祖代々から農業なわけですね。
 「物心ついたころからいずれは家業を継ぐんだという思いはありました。ボクで21代目。大学を出た長男も今年から手伝ってくれてます」

特別栽培米にこだわり

――作るのは米だけ?
 「ボクが戻ってきた時は果実もやってましたが、今は米だけ。18ヘクタールの田んぼで『夢ごこち』『つや姫』『ミルキークイーン』といった銘柄米を栽培してます。生産量は年間約90トン、うち20トンが輸出です」
――一般には「米作(べいさく)」って消費減退や価格下落、後継者難とかで…。
 「明るくないイメージですよね(苦笑)。でもやり方次第で展望は開けるはず。要は農協や補助金に頼らず、農家が自立すること。そのためにも大切なのは他人とは違う米を作ることだと思う」
――まずは品質だと。
 「ボクが作ってるのは有機栽培米と特別栽培米だけで、特に力を入れているのは土づくり。そうやって育てた米が2000年に『おいしい米づくり日本一大会』で最優秀に選ばれたことが販路拡大の契機になりました」

自ら営業に奔走

――販路拡大までの足取りって?
 「最初は農協に売ってました。だけど品質には自信があったので食べた人の反応を直に感じたかった。それで直販を始めたのが7年目から」
 「地元の寿司屋さんからスタート、その次に赤湯の温泉旅館を回りました。このあたりまでは比較的順調だったかな」
 「それが、売り先を広げようと足を運んだ東京で挫折。住宅地を一軒一軒訪ねても、駅前で無料でサンプルを配っても誰も相手にしてくれない。東京って何て冷たいところなんだと(苦笑)」

パートナーに助けられ

――でも東京ではパートナーにも恵まれて。
 「目黒区にある全国的にも著名な米穀店・スズノブが早くからボクの米を評価してくれました。そのおかげで当時の人気番組『どっちの料理ショー』で紹介してもらったり、いろんな雑誌で取り上げてもらったり」
 「コンクールでの受賞も大きかったけど、いろんな人に助けられたことが現在につながっていると思いますね」
――米大リーグ・マーリンズのイチロー選手や、サッカーの日本代表で、現在は欧州で活躍中の小林祐希選手らともつながりができたとか。

お米のチカラ

 「それもこれも米の力。ボクは生粋の山形人なので、口ベタだし、売り込みも苦手」
 「でも米があったから彼らとも出会えたし、将来にも夢が持てるようになったと思ってます」