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セピア色の風景帖

《セピア色の風景帖》 第四十三回 世界大動物園

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 小白川町にあった旧山形第一中学校と東沢中学校が統合し、新第一中学校になった昭和54年、建築中の一中前のスペースで「世界大動物園」が開催された。

《セピア色の風景帖》 第四十三回 世界大動物園

 当時は松波に県庁が移転し、田園地帯だった周辺は住宅地への転換ラッシュ。そんな中でポツンと空いた未整備地を有効活用しようと地元新聞社が企画したのが世界大動物園だった。
 昭和42年に動物園を備えた「山形ハワイドリームランド」が飯田にオープンしたが、採算が合わず5年で閉園、飼育していた動物を射殺して世論の批判を浴びたことは以前に紹介した。
 河北町にも小規模な動物園はあるが、ゾウやキリンなど大動物を見学するには仙台の八木山まで行かねばならなかった。
 大動物園とは言っても未整備地の砂利の上に簡易な檻(おり)を並べただけ。大動物の管理を考えれば今なら許可が下りないような施設だった。
 動物に各種の芸を披露させるショーも1日に何度も行われ、何の因果か遠い見知らぬ山形に連れてこられた動物たちは劣悪な環境下での“過重労働”に辟易(へきえき)しただろう。
 ただ動物園に飢えていた山形市民の間ではそれなりの人気を集めた。当時の子どもには間近に大動物と接することができる稀少な機会だったのは間違いない。 (F)

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