それからの山形藩
それからの山形藩/第32回 失意の藩主を鼓舞する漢詩人
天保の改革の失敗で老中だった水野忠邦が失脚し、藩主も嫡男でまだ10代半ばの忠精(ただきよ)に交替した。そして減封のうえ浜松から山形に左遷される。忠精が初めて山形入りしたのは転封の命が下ってから3年後の嘉永2年(1849年)8月7日であった。
天保の改革の失敗で老中だった水野忠邦が失脚し、藩主も嫡男でまだ10代半ばの忠精(ただきよ)に交替した。そして減封のうえ浜松から山形に左遷される。忠精が初めて山形入りしたのは転封の命が下ってから3年後の嘉永2年(1849年)8月7日であった。