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荒井幸博のシネマつれづれ

志村けんさんを偲ぶ

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見たかった初の主演映画

 日本を代表するコメディアン、志村けんさんが新型コロナウイルスに感染して70歳という若さで亡くなった。小さな子どもから大人、老人まで、これほどみんなを笑わせ、愛された芸人がいただろうか。

<荒井幸博のシネマつれづれ> 志村けんさんを偲ぶ

 私的には志村さんの真骨頂は“バカ殿”や“変なおじさん”のような派手なメイクと過激な演出のスタイルではなく、NHK「となりのシムラ」で見せたような素顔で、中年男の悲哀をまとった姿だと感じていた。

だから今は亡き高倉健さんのたっての依頼で初めて映画「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)に出演し、どうしようもない酔っ払い役を好演した時は我が意を得たりと得心したものだった。


 志村さんと親交が深かった柴田理恵さんも同じような思いを持っていたようで、志村さんと飲むたびに「『飢餓海峡』(65年)で伴淳三郎さんが演じたようなうらぶれた刑事役をやってくださいよ」と何度かお願いしたそうだが、その都度「そのうちね」とはぐらかされていたという。

 その意味で志村さんが山田洋次監督の新作「キネマの神様」に主演することが報じられた時は快哉を叫んだ。映画主演は志村さんにとっては初で、演じるはずだった役どころは、若いころに映画の撮影所で名監督・俳優に囲まれながら夢を追い求めていたが、今は無類のギャンブル好きのため家族に見放されたダメ親父ゴウ。それでも映画への愛だけは失わない。


 この映画は代役を立てて完成させるのだろうか?ゴウ役は笑福亭鶴瓶か、はたまた北野たけしか?いや、やはり志村さんで観たかった。

 志村さんはドリフターズの付き人仲間とコントコンビを結成していた時期がある。私のひそかな自慢は72年8月、山形県体育館でそのコンビのコントを14歳の時に観ていること。


 それから48年後の今年8月、やまぎん県民ホールで「志村けん笑」公演が催される予定だった。
 加藤茶さんの追悼コメント「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎い」が胸に突き刺さる。

 

シネマパーソナリティー

荒井あらい 幸博 ゆきひろ

1957年、山形市生まれ。シネマパーソナリティーとして多くのメディアで活躍、映画ファンのすそ野拡大に奮闘中。現在FM山形で「荒井幸博のシネマアライヴ」(金曜19時)を担当。


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