〈荒井幸博のシネマつれづれ〉アイム・スティル・ヒア
不屈の精神で圧政に挑む女性
1970年代、軍事独裁政権が支配するブラジル。元国会議員で土木技術者のルーベンス・パイヴァとその妻エウニセは、5人の子どもたちとリオデジャネイロの海岸の近くで幸せな暮らしを送っていた。
そんなある日、政権に批判的だったルーベンスは、突如、政府当局に連行され、そのまま行方不明になってしまう。やがてエウニセも連行され、過酷な尋問を受ける。
数日後に釈放されるが家族には監視が付き、相変わらず夫は戻らないまま。エウニセは軍事政権の横暴を明らかにし、夫の失踪の真相を求めるため、不屈の精神で立ち向かっていく――。

本作は実話で、ルーベンスの息子マルセロ・ルーベンス・パイヴァの回想録を原作に、ブラジル映画界の名匠・ウォルター・サレス監督が映画化した。
重いテーマながら、あくまでひとつの家族に焦点を当てた「家族ストーリー」で観客を引き込むサレス監督の手法はさすがと言わざるを得ない。それでいて泣くシーンは一切カットし、安易な「お涙頂戴」にはしないことにこだわっている。
揺るがぬ信念で当局に立ち向かい、89歳で亡くなるまで人権活動を続けたエウニセを演じたフェルナンダ・トーレスは、まるでエウニセが憑依したような名演。
本国のブラジルでは公開時、極右団体からボイコットを受けたそうだが、第97回アカデミー賞では国際長編映画賞を受賞し、作品賞、主演女優賞にノミネートされるなど、ブラジル映画としては米国で異例の大健闘を見せている。
このことは、今のトランプ大統領下の米国で、70年代のブラジルの圧政が他人ごとではないと感じている人が少なくないことの証左ではないか。
翻って日本の歴史を振り返っても、先の戦中の治安維持法で数十万人が逮捕され、拷問による虐殺・獄死者は1600人を超えるとされる。
「いつか来た道」を後戻りすることだけはないよう願いたい。

シネマパーソナリティー
荒井 幸博
1957年、山形市生まれ。シネマパーソナリティーとして多くのメディアで活躍、映画ファンのすそ野拡大に奮闘中。現在FM山形で「荒井幸博のシネマアライヴ」(金曜19時)を担当。