山形の魅力再発見!芋煮のトリビア

2007年8月24日
 まだまだ暑い日が続く山形ですが、この暑さを乗り切れば、待っているのは当たり前ですが秋。山形の秋といえば芋煮! そこで今号の特集は「芋煮のトリビア」——。
山形の魅力再発見!芋煮のトリビア

 山形の秋は芋煮会の湯気に誘われてやってきます。稲刈りを終えて農作業が一段落すると、山形市の人々は馬見ケ崎川河川敷に繰り出し、芋煮の宴を張ります。そう、芋煮会は山形市民総出の収穫祭なのです。

牛肉、醤油味でキマリ

 山形市など内陸部の芋煮のつくり方はサトイモと牛肉をメーンにネギ、こんにゃくを加えて醤油で煮込むのが基本中の基本。砂糖やみりん、日本酒で味を調えます。食材は地場産にこだわり、サトイモの皮は包丁を使わず洗ってこすり落とし、こんにゃくも手でちぎるのがポイントです。

思わずお酒が進む!!

 濃厚な牛肉のエキスが淡白なサトイモと交わり、あっさりとしたすき焼き風の味わいに思わずお酒が進んでしまいます。
 家族や職場の同僚、仲間たちと芋煮会で盛り上がる時は河原の石でかまどを作り、すべて豪快に。みんなでワイワイやるのが最大の調味料で、芋煮が出来上がるまでにアルコールで「出来上がっちゃった」人があちこちで見受けられるのもご愛嬌です。

山形の魅力再発見!芋煮のトリビア

最後はカレーうどんに

 別のコンロで焼きソバやバーベキューを楽しむのは定番ですが、芋煮を食べ終わった後、鍋に残った汁にカレーとうどんを入れるのが若者を中心に最近のトレンドになっています。


起源には諸説も


 山形の芋煮の起源は定かではなく、江戸時代、最上川舟運の船頭たちが終着点の中山町で始めたという説や、山形城主だった秋元志朝(ゆきとも)というお殿様が弘花2年(1845年)に群馬の館林に移封される時、芋を煮て別離の野宴を催したという記録が残っています。

都留市でも芋煮会

 中山町では「芋煮発祥の地」を掲げ、5年前から町商工会が中心になって「創作いも煮コンテスト」を開催中。
 また秋元家は江戸時代初期には谷村藩(現在の山梨県都留市)を統治していた大名。で、志朝創始者説を最近になって知ったのか、都留市では山形市の向こうを張って2001年に「秋元芋煮会」を結成、地域おこしに取り組んでいるそうです(遅っせえず、今ごろ!)

馬見ケ崎では明治から

 山形市で馬見ケ崎川河川敷での芋煮会が定着したのは明治以降とされ、山形歩兵連隊や当時の山形高校生の野外コンパがルーツとされています。

主役はサトイモ

 山形市の芋煮のメーンはサトイモと牛肉ですが、もともとの主役はサトイモで、冬期保存のきかないサトイモを食べきるために始まったというのが定説のようです。
 サトイモは熱帯アジアが原産で、稲よりも早く日本に入ってきました。縄文末期から「ハレ」の日に食されるようになり、その後、お月見などの祖先をしのぶ行事の食べ物として全国に広まっていきます。

所変われば味変わる

 そのサトイモを使った芋煮は全国にあり、まさに所変われば味変わる——。ご存知のように庄内地方や仙台市、福島市は豚肉、味噌仕立て。山形市民は内心「あっだな豚汁だべ」と優越感に浸っていますが、周囲の豚汁組からは逆に「肉ジャガもどき」と村八分(?)扱いを受けていることに気がついていません。前述の「秋元芋煮会」も豚と味噌だそうです。

山形の魅力再発見!芋煮のトリビア

日本三大芋煮って?

 西日本に目を転じても棒ダラと煮る京都市の「芋棒」、干しアユを使う愛媛県大洲市の「芋たき」、あぶった小鯛でダシをとる島根県津和野町の「芋煮」など様々。山形市、大洲市、津和野町のそれが「日本3大芋煮」と呼ばれているのは御同慶の至りですが・・・。

芋煮会フェスティバル今年は9月2日

 山形市で馬見ケ崎川河川敷を舞台に毎年9月の第一日曜日に繰り広げられるのが「日本一の芋煮会フェスティバル」で、19回目の今年は9月2日に開催されます。
 直径6メートル、重さ3・2トンの巨大な鍋にサトイモ3トン、牛肉1・2トン、こんにゃく3500枚、ネギ3500本、醤油700リットル、日本酒50升、砂糖200キロ、水6トンの材料を6トンの薪で煮込み、巨大なクレーンでかき回す様はまさに圧巻! 用意する3万食は夕方には売切れてしまうので会場へはお早めに。

山形の魅力再発見!芋煮のトリビア
イモニレンジャー結成

 今年のフェスティバルを盛り上げようと結成されたのが「大鍋宣隊イモニレンジャー」。レッド、グリーン、イエロー、ピンクの4人組みがゴミのポイ捨てなどで環境を汚す「ポイポイダー」と対決するという設定で、当日は子どもたちの人気を集めそうですね。