《追想録》 鈴木製粉所社長 鈴木 彦市さん
2006年12月22日
12月11日、鈴木製粉所(山形市滑川)社長の鈴木彦市さんが亡くなった。享年69。
昭和13年に山形市で生まれ、山形商業高校を卒業後、家業の鈴木製粉所へ。平成3年に3代目社長を継ぎ、人生を仕事とともに歩み始めた。
昭和13年に山形市で生まれ、山形商業高校を卒業後、家業の鈴木製粉所へ。平成3年に3代目社長を継ぎ、人生を仕事とともに歩み始めた。

「口下手だが仕事熱心な人。まさに山形商人の典型だった」と故人を偲(しの)ぶのは山形麺類食堂協同組合の佐藤茂理事長。そば粉にまみれる製粉業のかたわら、山形そばの普及・拡大を目指す「山形蕎麦研究会」の発足などに携わる。
平成13年にはそば資料館を備えた観光工場「そばひきどころ石臼館」をオープン、長年のそば文化発信の功績が認められ数々の賞も授かった。交友のあった全員が「山形のそば文化を語るうえでなくてはならない人」と口をそろえる。
ここ数年、情熱を傾けていたのが幻のソバとされる「天保そば」の復活。新たな山形の名物に育てようと粉骨砕身、酒田市沖の離島、飛島まで渡って実の育ち具合に目を細める毎日だった。
原料の買い付けのため県内をくまなく回り、そばの花畑をこよなく愛した鈴木さんは、年の瀬に天上の花野へと旅立っていった。
平成13年にはそば資料館を備えた観光工場「そばひきどころ石臼館」をオープン、長年のそば文化発信の功績が認められ数々の賞も授かった。交友のあった全員が「山形のそば文化を語るうえでなくてはならない人」と口をそろえる。
ここ数年、情熱を傾けていたのが幻のソバとされる「天保そば」の復活。新たな山形の名物に育てようと粉骨砕身、酒田市沖の離島、飛島まで渡って実の育ち具合に目を細める毎日だった。
原料の買い付けのため県内をくまなく回り、そばの花畑をこよなく愛した鈴木さんは、年の瀬に天上の花野へと旅立っていった。