《追想録》 荘内銀行顧問 佐藤 英男さん
2007年1月12日
1月5日、荘内銀行顧問の佐藤英男さんが亡くなった。享年71。
昭和11年に山形市で生まれ、山形南高校から山形大学を経て荘内銀行へ。ほぼ一貫して営業畑を歩み、仙台支店長、常務・山形支店長などを歴任、庄内地区が地盤の荘内銀にとって手薄だった仙台地区や山形地区の顧客開拓に功績を残した。平成8年から11年まで専務。
昭和11年に山形市で生まれ、山形南高校から山形大学を経て荘内銀行へ。ほぼ一貫して営業畑を歩み、仙台支店長、常務・山形支店長などを歴任、庄内地区が地盤の荘内銀にとって手薄だった仙台地区や山形地区の顧客開拓に功績を残した。平成8年から11年まで専務。

山形南高で同級だった山本昭雄元県議は「長身でハンサム、しかも性格は温厚。クラスに女子生徒はいなかったが、共学ならさぞモテたはず」と当時を懐かしむ。部下として長く仕え、徹底的に鍛えられたという荘内銀の大八木政春常務執行役員・仙台支店長も「面倒見がよく親分肌。上司として圧倒的な人気があった」と故人を偲(しの)ぶ。
営業スタイルは徹底した現場第一主義。顧客と正面から向き合い、相互の信頼関係を深めていく手法で荘内銀の収益力アップに奔走した。「担保ではなく、人物を見極めて融資の可否を判断する理想の銀行マンだった」と評するのは平成2年の開局時から交流が深まったというさくらんぼテレビジョンの鈴木秀明専務。
平成14年に顧問に退いてからは、それまでの仕事一筋だった人生を封印、よき家庭人に。休日ともなると、奥さんの昭子さんや2人の娘さん夫婦とドライブや温泉旅行を楽しんだという。「近所に住む3人の孫たちが来ると、嬉々としてお菓子を買いに行っていました」(長女の桂奈子さん)。
古き良き時代の風韻を鳴らす数少ないバンカーがまたひとり逝った。
営業スタイルは徹底した現場第一主義。顧客と正面から向き合い、相互の信頼関係を深めていく手法で荘内銀の収益力アップに奔走した。「担保ではなく、人物を見極めて融資の可否を判断する理想の銀行マンだった」と評するのは平成2年の開局時から交流が深まったというさくらんぼテレビジョンの鈴木秀明専務。
平成14年に顧問に退いてからは、それまでの仕事一筋だった人生を封印、よき家庭人に。休日ともなると、奥さんの昭子さんや2人の娘さん夫婦とドライブや温泉旅行を楽しんだという。「近所に住む3人の孫たちが来ると、嬉々としてお菓子を買いに行っていました」(長女の桂奈子さん)。
古き良き時代の風韻を鳴らす数少ないバンカーがまたひとり逝った。