《追想録》 でん六会長 鈴木 伝四郎さん

2008年6月13日
 6月1日、でん六会長で前山形商工会議所会頭の鈴木伝四郎氏(すずき・でんしろう)が肺炎で亡くなった。81歳。
 昭和2年、鈴木伝六氏の長男として山形市に生まれ、山形商業学校(現在の山形商業高校)を卒業後、地元の繊維会社に就職。25年に父の伝六氏とともに菓子製造の個人商店「鈴木製菓所」を設立し、3年後の28年、株式会社化への移行に伴い専務就任。
《追想録》 でん六会長 鈴木 伝四郎さん

 会社設立当初から社長である父・伝六氏との2頭体制。後に市議、県議と政治家の道を歩む伝六氏とは対照的に堅実な経営者に徹した。31年に主力商品「でん六豆」が誕生、東京や大阪に自ら足を運んでマーケット調査を重ね、でん六豆を全国ブランドに押し上げた。会社名は37年、現在のでん六に。
 社長に昇格した51年ころにはかつて大ヒットしたでん六豆の売れ行きが伸び悩み、壁に直面。悩み抜いた末に到達した結論が、顧客が求める商品を迅速に提供するという商売の原点だった。「これで社業は上向き、以後、『顧客第一主義』はDNAとして引き継がれている」と長男で現社長の隆一氏。
 平成14年に肺ガンの手術を受けた後も毎週の役員会議や毎月の営業会議には必ず出席、工場にも足しげく通って改善・改良を指示するなど、直前まで現役の経営者であり続けたという。
 山形商議所の会頭職を引き継いだ山澤進氏(ヤマザワ会長)は「ナナ・ビーンズの開業や100円循環バスの運行などに多大の功績があった。今後の指導も賜りたかった」と偲ぶ。
 葬儀は18日午後2時、山形市荒楯町1の17の40、パレスグランデールで。