鈴川郷土研究会 事務局長 長岡幹夫さん

2013年6月28日
長岡幹夫(ながおか・みきお) 1931年(昭和6年)山形市生まれ。山大教育学部を卒業後、県内各地の中学校で英語教師を務め、93年に母校の鈴川小の教諭を最後に退職。鈴川郷土研究会には75年から名を連ね、2007年から事務局長を務める。82歳。同研究会は会員数180人と市内の郷土(史)研究会では最大で、年3回の会報発行、歴史マップの作成など幅広く活動している。
鈴川郷土研究会 事務局長 長岡幹夫さん

義光公没後400年の今年
  山家城跡への散策路も整備


――山家(やんべ)城って知りませんでした。

東の拠点だった山家城

 「山形市北東部にある野伏山(のぶしやま)の頂きにあった山家氏の居城です。山家氏は最上氏の家臣で、最上氏の祖・斯波兼頼から仕えて10代続きました」
 「最後の当主が山家河内守。義光公の時代に山家城に拠って山形城の東の守りを固めていたと思われますが、義光公の葬儀の日、重臣3人と追い腹を切ったのよ」
――殉死ですね。
 「それ以降、山家城は廃城になり、今は城跡だけ。城跡に登る道もなく、地元でも山家城や城跡の存在を知らない人が少なくありません」
――それで研究会のみなさんで散策路を整備しようと。

研究会で散策路整備へ

 「2年前だったか、市川(昭男)市長さんが私の家にいらして」
――ああ、市川さん、たしか鈴川でしたね。
 「だから研究会の顧問にもなってもらってるんだけど、私に『誰かから山家城ってあるって聞いたんだけんども、どこさあるんや~』って」
――市川さんも知らなかったんだ(苦笑)
 「んだね(笑)。で、いろいろ説明しているうち『案内しますから登ってみますか?』『行きたいなあ』という具合に話がトントン進んで」
 「それで2年前の5月3日の憲法記念日の日にいっしょに登ったのよ、ササやぶかき分けて、1時間半かけて」
――それはそれは。
 「でも、苦労して到達した山頂の本丸跡からのぞむ市内の眺望はやっぱり素晴らしかった。これは観光資源としていかすべきだし、史跡として後世に残す責務もあると」

5月に完成

――みなさん、ご高齢の方がほとんどだとか。
 「若い人いないのよ(苦笑)。平均年齢は70歳代かなあ。それでも何とか散策路をつくろうという話がまとまり、ササを刈ったり、岩や木の根を除去する作業を2カ月かかってみんなで」
 「その散策路が完成したのが5月16日。道幅1・2メートル、全長530メートルで、山頂本丸跡まで15分で行けます」
 「今年は最上義光公の没後400年。それに合わせて山家城跡への道が400年ぶりに整備されたことは意義深い」

新観光スポットに

 ――新たな観光スポットの誕生ですね。
 「訪れてくれる人、多いのよ。100部刷ったパンフレットが早くもなくなって、いま増刷を検討中です(笑)」