志鎌園(山形市)専務 志鎌 直人さん

2013年6月14日
志鎌 直人(しかま・なおと) 1963年(昭和38年)山形市生まれ。日大山形高校、専修大経済学部を経て仙台市の食品スーパー・エンドーチェーン(現在の西友)へ。5年後の91年に山形に戻り、家業でお茶の製造・販売を手掛ける志鎌園に入社。営業本部長、常務を経て現職。高校時代はサッカー部で活躍し、高校選手権初戦突破、インターハイ2回戦突破などに貢献。49歳。
志鎌園(山形市)専務 志鎌 直人さん

今年が創業100周年
 伝えていきたいお茶の文化


――今年が創業100周年と伺いました。
 
創業は大正元年

 「大正元年(1912年)、白鷹町のお茶問屋に奉公していた祖父が天秤棒(てんびんぼう)を担いで村木沢で始めた行商が始まりです。大正5年に五日町に移り、大正11年に八日町へ。今の八日町本店があるところですね」
 「やがてお得意さんも増え、天秤棒から大八車を押しての商売に変わったようですが、祖父が年に1度、産地の静岡にお茶の仕入れに行く時は『水盃(みずさかずき)』を交わして出ていったとか」
 「そんな祖父も亡くなり、父が2代目を継いだのが昭和44年。同52年に流通団地に本社を移転、平成10年に2歳上の兄・秀人が3代目社長に就任して今に至っています」
――2人3脚でやられてるのは承知のうえで、今回のインタビューは最初、社長にお願いしたんだけど…(苦笑)
 「シャイなので『代わりにやってくれ』とお鉢が回ってきて(苦笑)」
 
県内シェア最大手

――でも、2人ともお茶屋さんの経営者としてはダントツに若いんじゃない?
 「山形市内にお茶屋は10数軒ありますが、経営者はほとんど我々の親世代。みなさん、後継者不足という悩みを抱えているみたいです」
――そんな中にあって2人して後を継ぐっていうことは。
 「ここ数年の売り上げの推移は横ばいか微減ですが、おかげさまで何とか県内最大手の地位は維持できています」
――やっぱり環境は厳しい?
 
取り巻く環境は厳しく

 「消費者がお茶を求めるルートは多様化してきてます。スーパーなど量販店だけでなく、ペットボトルだって競争相手。今や急須そのものがない家庭だって増えているんですから」
 「そんな中で生き残っていくためには失われつつある『お茶の文化』を地道に発信していくしかないと思う。基本的なことが意外に知られていなくて驚くことも。例えば日本茶も紅茶もウーロン茶も同じ茶葉からできることとか」
――蒸し方の違いなんだよね、実はボクもそれ知ったの最近で(苦笑)
 
あの夜に飲んだお茶

 「でしょ(笑)。でもお茶って奥深い。あの震災の夜、電気もない真っ暗な部屋で飲んだ温かいお茶にどれだけ励まされ、家族の絆(きずな)を感じたことか。あの夜のことを忘れず、お茶を後世に伝えていきたいと思います」