《追想録》 精英堂印刷 社長 鈴木 高明さん
2012年4月27日
4月10日、精英堂印刷社長で県印刷工業組合理事長も務める鈴木高明氏(すずき・たかあき)が肺炎で亡くなった。66歳。

1946年に朝日町で生まれ、山形南高、明大政経学部を経て殖産相互銀行(後の殖産銀、現在のきらやか銀)へ。早くから頭角を現し、当時の最年少支店長などを経て92年に経営の中枢を担う経営企画室長に就任。
「最高にカッコいい上司だった」と述懐するのは当時の部下だった佐藤広一さん。「抜群に仕事ができて、イエスマンばかりだった管理職の中で上司に意見ができる唯一の存在でした」
役員就任もささやかれていた94年に持ち上がったのが仙台の徳陽シティ銀、盛岡の北日本銀との3行合併構想。ワンマンで知られる当時の叶内紀雄頭取が合併を推進したのに対し、徹底して反対意見を具申。合併は破談に終わるが、叶内氏との軋轢(あつれき)は残り、97年に50歳で退社し精英堂へ。
社長就任後は日本酒のラベルに過度に依存していた業容を一新、水なし印刷技術を導入して技術力を高め、同社を全国的なオンリーワン企業に育て上げた。
編集長インタビューには第95号に登場。その経営手腕に剋目(かつもく)させられると同時に、もし殖銀で役員、頭取と上りつめていれば、殖産のその後は違ったものになったのではと感じた。