やまがたコミュニティ新聞編集長 吉村 哲郎

2010年11月12日
吉村 哲郎(よしむら・てつろう) 1957年(昭和32年)東京都生まれ。81年に早大政経学部卒業後、日本経済新聞社へ。一貫して経済畑を歩み、記者、キャップ、デスクを経て2003年3月から06年2月まで日経山形支局長。同年6月、東京本社マーケティング本部部長を最後に日経を退社、8月に山形コミュニティ新聞社を設立。52歳。
やまがたコミュニティ新聞編集長 吉村 哲郎

皆様に支えられ100号到達
    ありがとうございました——

——いちおう100号なんだけど、顔出すのって嫌じゃなかったっけ?
 
ここまで無我夢中

 「嫌ですけど、やっぱり山形の人たちのおかげでここまでこれたわけだし、それに一部で傲岸不遜(ごうがんふそん)なヤツって思われてるフシがあって、そのあたりの誤解を解いていただければと(苦笑)」
——ここまでを振り返って、どうですか?
 「新聞社にいた時は記事や紙面のことだけ考えてれば済んだけど、今は広告から配布から全部やらなきゃで毎日がテンヤワンヤ。無我夢中で過ぎたって感じですね」
 「それでも何とか続けられたのはスタッフやスポンサーもですけど、ひとえに読者のおかげ。山形の人たちの支持がなかったら12万部強まで部数は伸びなかったし、100号までこれなかった」
——ホントに感謝してるの?
 「当たり前じゃないですか。ヒネくれてるんで素直に表現できないだけですよ」
 
食堂での会話に感慨

——読者の支持ってどのあたりで感じるの?
 「メールや手紙をいただきますけど、これはボクや会社宛に送られてくるわけでしょ。でもある時、食堂でカツ丼食べてたら店主と常連らしい客がやまコミは面白いって話で盛り上がり始めた」
 「2人はボクの素性は知らないわけ。ボクは黙々と食べながら背中で会話を聞いていて、店を出てから『なんか喜んでもらってるんだな』『やまコミ始めてよかった』と思った瞬間でしたね」
 
可哀そうは惚れた?  

——やまコミ始めたそもそものきっかけって?
 「ボクも含め東京から来て山形のファンになる輩(やから)は大勢いるけど、大半がロクな仕事もせずに山形を楽しんで任期が来たら帰っていくわけだ。江戸時代の山形藩主もそんな感じだったみたいだけど、そういう連中が許せなくなってきた。同時に、こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、山形の人たちが可哀そうになってきて」
——夏目漱石も言ってるように、可哀そうたぁ惚れたってことだよ。
 「多少の利益をあげられるようになった今、こんなこと言うのは不遜ですけど、ボクにしてあげられるとすれば今かなと。記者としての腕には覚えがあったし」

ライバルは山形新聞

——次の展開は?
 「今は月2回の発行ですけど、月3回、月4回にしたい。ライバルですか? 烏滸(おこ)がましいですけど山形新聞ですね」