《追想録》 ムービーオン専務 飯野昇悦(しょうえつ)さん

2009年9月11日
 ムービーオン専務で山形県興行生活衛生同業組合理事長だった飯野昇悦氏が5日、胃がんのため市内の病院で死去した。65歳。
《追想録》 ムービーオン専務 飯野昇悦(しょうえつ)さん

 1943年(昭和18年)、大工職人の飯野直吉氏の次男として山形市に生まれる。62年に山形商業を卒業後、66年に大正6年創業の映画興行の老舗(しにせ)で山形と秋田に22スクリーンを持つ宮崎合名社へ。「お前は営業向きだ」という当時の宮崎健社長(故人)のツルの一声で40年に及ぶ映画一筋の人生を歩み始める。
 任されたのは東京の配給会社に日参してのフィルムの買い付け。興行収入に応じた現在の歩合契約と違ってギャンブルに近い世界。当たると確信してコケた「キングコング2」には臍(ほぞ)をかみ、ダメもとで買った「エマニエル夫人」の大ヒットには快哉を叫んだ。
 自認するように生粋の映画ファンではなかったが、そのことが逆に愚直なまでの仕事ぶりに向かわせ、温厚な人柄とも相まって社内外からの厚い信頼を得る。出世の階段を順調に上り、シネコンに押され斜陽が差す宮崎合名の屋台骨を支えた。健氏の死後、社長に。
 健氏の長男の社長就任に伴い一線を退くが、定年退職と同時にシネコン建設を目指すムービーオンから専務として招かれる。周囲には「悠々自適の生活を楽しみにしていたのに」とこぼしてみせたが、内実は心底うれしそうだった。
 長年培った人脈をいかしてムービーオン開業に尽力するが、その体はすでにがんに蝕まれ、1年前に家族には「余命3カ月」と告げられていた。「飾らず実直で懐が深いという山形人の典型だった」と偲(しの)ぶのは交流があった東宝の千田論専務。
 「七日町のシネマ旭の閉館は断腸の思いだった」と漏らした山形人は天上のシネマ旭を求めて足早に旅立っていった。