山形座 瀧波(南陽市)社長 南 浩史さん

山形を愛する県民による
山形のための旅館を目指す
――随分とユニークな経歴をお持ちで。
もとは政治家志望
「もともと政治家になりたくて、そのためには官僚になるのが近道かなと。憧れてたのは田中角栄さんで、決断力、実行力、人間力に魅力を感じてました。お金の使い方はちょっとマズかったみたいだけど」
――で、地元進学校の米沢興譲館から東大に。
「高校時代は応援団、大学ではボート部でした。建設省では英国留学を含め様々な経験をさせてもらいましたが、結婚を機に人生設計が変わってしまった(笑)」
――奥さんの実家が凄いんですね。
婿に入って実業界に
「初代が1936年に大阪造船所(現ダイゾー)を創業し、〝日本の三大億万長者〟と称された南俊二で、妻の父は3代目の家長。それで結婚して婿養子に入った翌年に8年間勤めた建設省を辞めて、関連会社の大島造船所に行くことに」
「常務、専務を経て2009年に社長になりました。印象に残っているのは06~07年にトヨタ自動車に出向し、〝カイゼン〟〝見える化〟など『トヨタ生産方式』を学べたことですね」
「この出向経験が造船経営にも役に立ち、在籍した17年間で350億円だった売上高は1500億円に、14%前後だった自己資本比率も約50%になりました」
実家のピンチで帰郷
――そんなエリート、辣腕経営者がUターン!
「実家の瀧波が14年4月に経営破綻し、12月に立て直しのために私が戻されたと。出向ではなく、不退転の決意で造船所は辞めてきました」
――瀧波さんには失礼かもだけど、なんだか、もったいないような…。
「まず着手したのが旅行代理店のリベート削減。同時に利幅のとれる酒類の充実や、地元食材を使った料理メニューへの転換、原価改革にも大ナタを振るいました」
「老朽化していた建物も大幅改装しました。妻の実家から5億円の援助を仰ぎ、それまでの古民家風から和モダンな雰囲気に変え、全客室に源泉かけ流しの露天風呂も」
「1万5000円だった客単価を3万5000円に設定したのは賭けでしたが、18年に黒字転換。去年招へいしたミシュランの星付きシェフも腕を振るっています」
起業してしまいました
――再建が軌道に乗れば、奥さんの親族グループに戻るんでしょ?
「それは白紙。というのもグループを離れて横浜で介護事業や米沢でそば店『たきなみ』も始めちゃったから(苦笑)。毎日が大忙しです」
――バイタリティーのある人だなあ。