徹底して山形に密着したフリーペーパー

ライオンパン宝生堂(山形市)社長 佐藤 矩昭さん

2022年2月25日
佐藤 矩昭(さとう・のりあき) 1944年(昭和19年)に中国厦門市で生まれ、翌年、両親の郷里・山形市に居を移す。市立四小、山形商業を経て日大経済学部に進み、卒業後に帰郷して父親が51年に創業したパン製造のライオンパン宝生堂入社。専務を経て86年から社長。78歳。
ライオンパン宝生堂(山形市)社長 佐藤 矩昭さん

廃業は余力あるうちにと決断
  長年のご愛顧に感謝致します

――戦後間もなくの創業と伺いました。

給食は1万4000食

 「父は山辺町大寺の出身で、出征先の中国から引き揚げてきた当初は闇屋をやっていたようですが、その後に六日町で民家を2軒購入し、1軒を自宅、もう1軒でパン製造を始めたんですね」
 「当時はコンビニやスーパーなどない時代。売り先は市内のそこかしこにあった零細な〝何でも屋〟で、自転車の荷台にパン箱を何段も重ねて売り歩いたと聞いてます。やがて自転車はオート三輪に変わり…」  
――ミゼットとかが走り回ってた時代ですね。
 「その後、学校給食用のパンも手掛けるようになり、六日町の工場が手狭になって鳥居ケ丘のここに移ってきたと」
 「現在は市内や周辺市町の約50の小中学校に給食用のパンや米飯を1日約1万4000食分製造しているほか、高校や大学、病院などの売店で菓子パンを販売してます」
 「パンへのこだわりは、まず職人が手づくりで焼き上げること、それに小麦粉など原材料を吟味すること、合成保存料を排することなど。価格も100円台から300円台に抑えてきました」
――地元から親しまれてきました。

地元から親しまれ

 「本社でも販売していますが、おかげさまで固定客や根強いファンもいらして。ここに移転してきた当初は喫茶店も併設していて、営業マンのたまり場みたいだった時代もありましたね」
――そもそも、ライオンパンっていう名称は?
 「もとは『宝生堂』だったんですよ。それが母の実家が『ライオンパン』というパン屋をやっていて、どうせならひっつけちゃえと(苦笑)」
――あのライオンのラッピング車両、近く姿を消しちゃうんですね。

2月末で廃業

 「少子化による需要減少で老朽化した炊飯設備の更新はままならないし、朝が早く休みも少ないパン製造や給食事業は、昨今の働き方改革と折り合いをつけるのが困難な仕事です」
 「六日町で創業し去年が70周年。ここに移転して今年で50年。設備もですが、私も老朽化して…(苦笑)。余力があるうちに退場しようと、2月末の廃業を決めました」
――息子さん2人が東京にいらっしゃるのに。

息子は自分の人生を

 「勤め先は上が×××、下が△△です」
――エー!あの大手広告代理店と超人気のIT企業!
 「後を継ぐかと聞いてみたら、2人とも『それだけの給料が出せるのか?』って(苦笑)」
――確かに、それは難しいだろうな(苦笑)