徹底して山形に密着したフリーペーパー

《やまがたの市町村》 Vol.2 上山市(かみのやまし)

2008年9月12日
 山形県に長く暮らしている人でも意外に知らなかったりするのが周辺の市町村のあんな話、遠隔地の市町村のこんな話。転勤などで初めて山形に来た人はもっとチンプンカンプンなはず。やまコミが総力取材でお届けする「やまがたの市町村」、第2回目は上山市!
《やまがたの市町村》 Vol.2 上山市(かみのやまし)
ルーツ

●「上山方」がルーツ

 上山市は山形県村山地方の最南端に位置し、人口は約3万5000人。現在の上山市と山形市をあわせた周辺は古来、蔵王山の麓にあることから「山方(やまがた)の郷」と呼ばれ、さらに「上山方」「下山方」に分けられていたとか。それが後になって「上山方」は上山に、「下山方」は山形になったんですって。

《やまがたの市町村》 Vol.2 上山市(かみのやまし)

●上山城を巡る攻防戦

 現在も市の南北を国道13号と奥羽本線が走りますが、昔から羽州街道と米沢街道が交差する交通の要衝として栄えてきました。戦国時代には最上氏と伊達氏がこの地で何度も攻防戦を繰り広げたといいます。
 関ケ原の戦いの時、最上義光と直江兼続が戦った「慶長出羽合戦」の戦場といえば長谷堂城(山形市)が有名ですが、上山城も直江右翼軍の侵攻にさらされました。結果ですか? 長谷堂城と同様、最上軍が直江軍を撃退しています。直江って「信長の野望」だと戦闘力90以上なのに、ホントに強かったのかしら?

●天守閣復元は昭和57年

 めでたく上山城と上山藩を死守した最上義光ですが、その後の藩主はめまぐるしく変わります。上山城の天守閣も幕府の命令で取り壊しの憂き目に。現在の白亜3層の天守閣が復元されたのは昭和57年のことです。  

開湯

●開湯は古く15世紀

 上山市のもう一つの顔である温泉街ですが、開湯は古く長禄2年(1458年)。肥前(佐賀県)出身の旅の僧侶・月秀が上山を訪れてみると、温泉で傷をいやしている鶴を発見したことが始まりとされています。

《やまがたの市町村》 Vol.2 上山市(かみのやまし)
開湯
●13日から
 「かかし祭」


 開湯が1458年ということは? そうです、「かみのやま温泉」は今年が開湯550年。こんな節目の年は半世紀に1度だけ。9月13日からは「第38回かみのやま温泉全国かかし祭」が開催され、田園のヒーロー「かかし」が様々な世相を映して開湯550年を盛り上げます。

開湯

●宿場町の面影「楢下宿」

 宿場町としての上山市を代表するのが「楢下宿(ならげしゅく)」。参勤交代のため羽州街道を利用する東北の13藩の大名が宿泊に利用したそうで、本陣や脇本陣、旅篭屋や茶屋などが立ち並び、大いににぎわったんだとか。
 そんな街並みが今も保存されていて、脇本陣だった「滝沢屋」をはじめ「庄内屋」「大黒屋」「山田屋」などの古い建築物が往時をしのばせてくれます。

《やまがたの市町村》 Vol.2 上山市(かみのやまし)

●茂吉も死後55年

 上山市が生んだ著名人といえば歌人の斎藤茂吉。1953年(昭和28年)に亡くなって今年で55年。こちらも節目の年です。
 北町のみゆき公園内にある「斎藤茂吉記念館」には茂吉の生涯や業績が称えられていますが、オススメは「西山ふるさと公園」。

西山
 上山への思いが強かった茂吉は、帰郷時には温泉街西側の裏山を散策しては歌を作ったとか。あたり一面を整備したのが「西山ふるさと公園」で、山頂に向かう道すがら多くの歌碑と出会えるほか、森林浴やハイキング、バードウォッチングなどが楽しめる野生資源の宝庫です。
 
●怖〜い「不動滝」
 
 同公園の麓にある「滝不動」は心霊スポットとして全国に知られ、かの故・宣保愛子サンもビビッて敬遠していたそうです。
《やまがたの市町村》 Vol.2 上山市(かみのやまし)

●スカイタワー

 最後に、上山市といえば誰もが抱く素朴な疑問。それは田園が広がる上山市宮脇にドッカーンとそびえ建つ「スカイタワー41!」「なんであんなものが、あんなところに?」——。
 スカイタワーは41階建て390戸の超高僧マンションで、高さは133メートル。その高さは県内でダントツの1位、東北でも4位。マンションに限れば東北最高、全国でも屈指の高さです。
 建設したのは仙台市の不動産開発業の山万アーバンフロント。何と驚くべきことに、山万アーバンフロントは上山市と山形市にまたがる広大な山林や農地を宅地開発し、約3万人を定住させる計画でした。
 ですがバブルも崩壊、計画はとん挫し、一足先に着工していたスカイタワーだけが残りました。それでも手ごろな価格のせいかほぼ完売状態で、時に売り出される中古物件もすぐに買い手がつくそうです。