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喫茶 白十字(山形市)店主 山崎 恵子さん

2021年1月8日
山崎恵子(やまざき・けいこ) 1929年(昭和4年)旧新庄町(現在の新庄市)生まれ。町立実科高等女学校(現在の県立新庄南高)3年時に学徒動員で首都圏の軍需工場へ。終戦間際に帰郷、父親が経営していた山形市の製材工場、県庁勤務を経て54年、当時、東芝家電販売所の所長を務めていた山崎静五郎氏と結婚。翌55年、現在の山形七日町二郵便局の西隣に電器店「銀座堂」、73年に現在地で「喫茶 白十字」を開業。静五郎さんが亡くなる19年前まで2店を切り盛りし、亡くなってからは白十字だけの経営に専念している。91歳。
喫茶 白十字(山形市)店主 山崎 恵子さん

七日町の地で創業して48年
 50周年、93歳までは頑張ります

――もともと電器屋さんだったんですね。

亡夫は有名な遊び人

 「結婚した主人がどうしても小売りの店をやりたいと。山形市出身の主人は山形中学(現在の山形東高)を卒業後すぐに中国に渡ったのね。終戦で地元に引き上げてきて、私が県庁に勤めている時に知り合ったの」
 「私は結婚する気なんてサラサラなくて。軍需工場にいた時、特攻隊で死んでいく男性をたくさん見てたから。でもしつこくてね(笑)。私は24歳、主人は42歳だったんだけど、38歳だなんてサバまで読まれて(笑)」
――ご主人、有名な遊び人だったとか(苦笑)
 「昨日は『ソシュウ』、今日は『クラブ未亡人』なんて具合に放蕩三昧。店の前を両脇に2人の女性と腕組んで歩いてるんだから。私が文句を言うと『釣った魚にエサはやらないんだ』なんて言われて(笑)」
――……(苦笑)

電器屋から喫茶店へ

 「当時は電器屋も少なくて、それなりに儲かったっけの。ただ70年代になると大型の家電量販店が進出してきて、このままだと先細りになりそうだったので、松坂屋(現在のナナ・ビーンズ)1階のここで喫茶店もやることにしたんですよ」
 「当時は県庁はあるし、映画館はあるしで、七日町も人が多くてね。今では信じてもらえないだろうけど、肩と肩がぶつかるぐらい。喫茶店も面白いほど繁盛して、開店のための借金なんて1年で返せたほど。市内にもう1軒出そうかなんて話もあったのよ」
――へ~え。

七日町の栄枯盛衰

 「それが、まず県庁が移転し、松坂屋が閉店、最盛期には20近くあった映画館もゼロに。歩いてる人もめっきり減って、七日町は寂しくなった」
 「最近も大沼が閉店して、ましてコロナでしょ。今は昔からの常連さんに支えてもらって、何とかやれてるというか」
 「それでも毎日店に出てお客さんと話をするのは楽しいし、ボケ防止にも役立ってます(笑)。今年が創業48周年で、少なくとも50周年までは頑張りたいわね」
――死んだ母の生まれも昭和4年でしたけど、カクシャクとされてて。
 「有り難うございます」

看板メニューはカレー

――看板メニューはカレーですよね。
 「私が毎日手づくりしてるっけの」
――十分おいしんですけど、店の外に貼ってある写真がゴロゴロ野菜のカレーで、実際はまったくの別物で…(苦笑)
 「なのよね(笑)。看板屋さんに頼んだら全然違う写真になって。ホントに『看板に偽りあり』だっけのよね(大笑)」