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《セピア色の風景帖》 第145回 三崎峠旧道(遊佐町)

2020年10月9日
 鳥海山から海に流出した溶岩が固まったとされる三崎峠。峠に街道ができたのは今からおよそ1500年前で、この地を訪れた慈覚大師が住民と協力して開削したと伝えられている。
《セピア色の風景帖》 第145回 三崎峠旧道(遊佐町)

 今でこそ国道7号が通過しているが、かつては厳しい地形で永く人々の往来を妨げたという。人一人が通るのがやっとで、荷車はおろか馬の通行さえ困難で、そこを逆手にとって「有耶無耶(うやむや)の関」と呼ばれる関所が構えられることもあった。
 江戸時代には松尾芭蕉と門人の曽良がここを越えたという記録もある。

 この一帯はまた、明治維新時の戊辰戦争の戦場にもなり、庄内軍と新政府軍の壮絶な戦いが繰り広げられた。
 今なら考えられないことだが、大師堂周辺には大正時代まで人骨が散在し、同3年に大型ビール箱数個に掻き集めた人骨を容れ、翌4年に供養祭が催されたという。現在は戊辰戦争に関する石碑が点在している。

《セピア色の風景帖》 第145回 三崎峠旧道(遊佐町)

 車で通り過ぎれば何のこともない地だが、幾重もの歴史が刻まれている。ここを越えた幾多の人々や、ここで戦い倒れた青年たちに想いを馳せて周囲を散策するのも一興だろう。(F)