徹底して山形に密着したフリーペーパー

前田製管 社長 前田 直之さん

2020年9月25日
前田 直之(まえた・なおゆき) 1972年(昭和47年)酒田市生まれ。酒田東高から東大経済学部に進み、卒業後、生活用品国内最大手の花王(東京)に就職。営業職を2年務め99年に帰郷、祖父が29年に創業したコンクリート製品製造の前田製管(酒田市)へ。経営企画室長、常務を経て入社4年目の2003年から社長。県コンクリート製品工業協組理事長、東北コンクリート製品協会会長なども兼任。酒田商工会議所青年部会長、日本商工会議所青年部日本創生委員会(政策提言系)委員長も務めた。9月25日で48歳に。
前田製管 社長 前田 直之さん

経営再建にもメドが立ち
  地域を元気にして恩返しを

――社長就任の年が。
 「2003年ですから、30歳の時ですね」

30で危機の家業社長に

――前田製管は当時…。
 「経営破綻の一歩手前でした。1997年に440億円だった売上高が景気後退で239億円まで落ち込み、売上高とほぼ同額の負債も。メインバンクだった日本長期信用銀行さん(現・新生銀行)が98年に破綻した影響もあり、工場の統廃合や人員削減などリストラに追われていました」
――お父さんで、直己前社長が多角化を急ぎすぎたからという指摘が。
 「それは私の口からは言えませんが、経営責任を取る形で父が会長に退き、新たにメインになってもらった商工中金さんの支援のもと、入社4年目の私に社長のお鉢が回ってきたわけです」
――あれから18年か。
 「まず取り組んだのが、30社近くあったグループ会社の整理統合で、本業回帰を最優先させて選択と集中を進めました。合理化にも取り組み、売上高が伸びなくても利益が出せる体質を目指しました」

2年前は過去最高益

 「恵まれたのは社員で、苦しい時も下を向かず、私たち経営陣を信じて一丸となってくれた。経営をスリム化したことで10年に売上高は150億円まで落ちましたが、その後は震災復興の特需や社員の頑張りで19年は売上高277億円まで回復、経常利益は23億円と過去最高益でした」
――スゴいね。
 「社長に就任した時が一番苦しかったですね」

八面六臂の活躍

――最近は乗りに乗ってるからか、いろいろ露出度も高いよね(笑)」
 「YTSの『提言の広場』ですか?あの番組、ややこしいテーマだと必ず私に振ってくるんですよ(苦笑)」
――去年は東大剣道部の夏合宿を酒田に誘致して。
 「いちおう東大剣道部OBですから。後輩たちにグルメ三昧させてやったせいか、彼らは去年の全日本学生剣道優勝大会に出場を果たしました」
――高校生に人工知能(AI)を活用させる取り組みも。
 「県内11の高校で『山形AI部』という活動を始めてます。デジタル分野に強い人材を高校生から育てることで、将来の山形の活性化につながることを期待してます」

コロナ禍でも週6

――夜の七日町や駅前にも出没するよね(苦笑)
 「お声がかかれば日本中どこへでも。よく『座持ちがいい』って言われますね(苦笑)」
――考えてみたら、こうやって日の高いうちに真面目な話するのって初めてじゃない?
 「ずっと夜ニアミスするだけでしたね(笑)」