徹底して山形に密着したフリーペーパー

長門屋 社長 笹林 陽子さん

2020年8月28日
笹林 陽子(ささばやし・ようこ) 1966年(昭和41年)、1911年(明治44年)から続く山形市の老舗仏具店「長門屋」の創業家長女として生まれる。山形北高から青山学院女子短期大に進み、卒業後に日本鉱業(現在のENEOS)入社。24歳の時、同じ会社に勤める笹林修氏と結婚。2女に恵まれ、東京都内と北海道で専業主婦生活を送っていたが、家業を継ぐため2002年に一家4人で山形に戻り、2015年から社長を務める。54歳。
長門屋 社長 笹林 陽子さん

図らずも実家を継ぐことに
  本当に運命は不思議ですね

――笹林姓は?
 「主人のです。私の旧姓は山口。本家は十日町の漆器店『本家長門屋』で、長門国(山口県)出身の山口新右エ門が江戸初期に創業したとか。うちは分家で、曽祖父の山口長蔵が本家から独立したのが始まりです」
――そうか、だから長門屋さんなのかあ。

専業主婦をしてました

 「うちはもとは漆器を扱っていたんですよ。仏壇や仏具を扱うようになったのは祖父の代から。僧籍を持ち、経営者と僧侶という2足のわらじだった父の代になると完全に切り替わりましたね」
――そんな伝統ある老舗に生まれて。
 「兄弟は4人で、下に弟が1人と妹が2人。子どものころから家は弟が継ぐものだと思ってましたから、短大卒業後はそのまま東京で就職、結婚、出産を経て普通に専業主婦をしてました」
――それが。

36の時に家族で帰郷

 「大手商社に就職した弟がそのまま東京で暮らすことになり、後継者が決まらないまま父が高齢化していくのを見て、会社員だった主人が『自分が手伝おうか』と言ってくれて。札幌出身で、山形とはほとんど縁がなかった人なのに」
 「一家で山形に戻ったのは主人が45、私が36の時。主人は5年後に社長に就任、新しい感覚で意欲的に会社の改革に取り組んでいましたが、2年後に大病を患って、今も療養生活。私がやるしかなくなったわけですね」
――5年経ってみて。

同友会に助けられ

 「最初は戸惑うことばかり。でも知人から県中小企業家同友会の存在を教えてもらい、そこで出会った経営者のお話を伺ったり、経営指針をつくるセミナーに参加するようになり、自分なりのやり方も分かってくるようになって」
 「生活様式の変化で仏壇・仏具を取り巻く環境は多様化していますが、そんな中でも顧客ニーズにキメ細かく対応していくしかないのかなと」
――具体的には?
 「例えば、実家の仏壇を引き取りたいけど、いま住んでる家では大きすぎるという人がいれば、シンボリックなところは残して小型化するやり方を提案したり、店舗に隣接する蔵を改装した『ひなた蔵』で各種のイベントを企画して、長門屋や仏壇・仏具の存在を身近に感じてもらったり」
――細腕繁盛記!

人との数奇な出会い

 「戻ってくるつもりじゃなかった山形に戻り、なるはずのなかった社長になって、いろんな人との出会いが生まれた。社長だった父や主人の気持ちも理解できるようになり、本当に運命は不思議なものだと思います」