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《セピア色の風景帖》 第143回 加茂隧道

2020年8月14日
 江戸時代から北前船が加茂の港に寄港したため、加茂坂越えは鶴岡城下との連絡路として重要なルートであった。しかし難道であったため、今は即身仏として安置されている湯殿山行者鉄門海が新道を開削し、その後、その遺志を継いだ鉄龍海が火薬も使用して改修したと伝えられる。工事の完成は鉄門海が着手してから約60年、明治4年のことであった。
《セピア色の風景帖》 第143回 加茂隧道

 その後、山形県の初代県令三島通庸によって、加茂坂に隧道(トンネル)掘削事業が行われ、明治24年には324mの加茂隧道が完成した。現在見られるものは、昭和14年に、高さ、幅を増すために改修した隧道である。

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 鉄門海と鉄龍海が血のにじむ思いで開いたという加茂坂の古道はすでに藪の中に没し、その跡を継いだ明治の隧道もまた2003年7月の加茂坂トンネルが開通したことにともない、現役を退いた。改修前の両隧道口上部には、南陽市に残る吉田橋等で有名な石工、吉田善之助親子の手による龍と虎の彫刻がそれぞれ飾られていたが、昭和14年の改修の際に撤去され、虎の彫刻は大山側隧道手前の壁面に残されているが、龍については大山側、加茂側双方を探しても見あたらない。失われたものと思われる。(F)