徹底して山形に密着したフリーペーパー

山形の見所再発見! 山寺のトリビア

2007年1月26日
 山形県で最も多くの観光客を集める山寺。苦しい思いをして石段を登り、展望台(五大堂)まで行き着くと、山寺の門前町や遠くの山々を望む大パノラマが広がる──。と、ここまでは誰もが連想するところですが、文献を調べ、実際に登ってみると、意外な事実や新発見がいっぱい。今回は「山寺のトリビア!」
山形の見所再発見! 山寺のトリビア
 山寺の正式名称は宝珠山立石寺。立石寺は地元では「りっしゃくじ」と読んでいますが、一般的には「りゅうしゃくじ」が正しいそうです。

実はエライ「円仁さん」

 山寺を開山したのが慈覚大師・円仁(キーワード[1])。地元の銘菓「円仁さん」のイメージのせいか、「一休さん」「良寛さん」といったお茶目(?)で親しみやすいお坊さんを連想しがちですが、調べてみてアッとびっくり。とても偉い方なのです。天台宗はもちろん、浄土宗、ひいては日本の仏教の始祖でもある方です。
山形の見所再発見! 山寺のトリビア

白熱のバーチャル対決 円仁 vs 磐司

 円仁が山寺を開こうとした時、地元のドンだった磐司磐三郎(ばんじばんざぶろう)という猟師が阻もうとします。無益な殺生をやめるよう諭す円仁、得心して山寺を寄進する磐司。両者の交渉の場が「対面石」の上です。実際に石の前に立ち、

 円仁「磐三郎はん、殺される獣たちが可哀想やと思いまへんのか」
 磐司「んだが。んだら今日からやめるべした」

といったやり取りがかわされたかと想像すると、時空を超えて当時にタイムスリップしたような気分になります。

伴淳三郎の由来は?
伴淳三郎の由来は?

 ばんじばんざぶろう→ばんじゅばんざぶろう→ばんじゅんざぶろう…。アジャパー、山形出身の伴淳三郎(本名・鈴木寛定)の芸名はひょっとしたら磐司磐三郎に由来するのではないでしょうか。だとしたら新発見!
山形の見所再発見! 山寺のトリビア
奥の院まで1015段

いよいよ奥の院までの1015段の石段に挑戦です。石段登りに杖は力強い助っ人で、途中の商店街で無料で借してくれます。
 登山口からすぐのところにあるのが国の重要文化財に指定されている「根本中堂」で、ブナ材の建築物としては日本最古だそうです。

延暦寺再建に「分火」

 中で1200年以上にわたって燃え続ける「不滅の法灯」は、織田信長によって焼き討ちされた比叡山延暦寺の再建時に使われる(分火)という大役を果たしました。
山形の見所再発見! 山寺のトリビア
芭蕉像は誰似?

 根本中堂の正面左側には、元禄2年(1689年)7月13日に山寺を訪れた松尾芭蕉(キーワード[2])と弟子の曽良のブロンズ像がありました。当初は芭蕉像だけでしたが、平成元年に奥の細道300年を記念して曽良像も建てられたとか。よかったですね、曽良さん。
 ちなみに、ブロンズ像を寄贈したのは「でん、でん、でんろく豆」で有名なでん六(本社=山形市)さんで、芭蕉像は創業者の鈴木伝六氏、曽良像は二代目社長の鈴木伝四郎氏が寄贈。そのせいか、立石寺副住職の清原正田さんによれば、特に芭蕉像は生前の伝六氏にそっくりだそうです。
 2つの像の間に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という有名な芭蕉の句を刻んだ碑もあります。

カップルも仲良く登頂

 円仁ゆかりの「日枝神社」「宝物殿」「念仏堂」などを横目で見ながら進んでいくと現れるのが「山門」。ここで300円の入山料を払い、奥の院への800段の参道が始まります。
 巨岩、奇岩が切り立つ石段が続きます。雪こそ少ないものの季節は冬。にもかかわらず、単独行の人や家族づれ、まれにカップルもいます。去年、携帯電話のCMになったせいもあるのかも知れません。
山形の見所再発見! 山寺のトリビア
霊場・山寺を実感

 でも「姥堂」あたりから、山寺が東北を代表する霊場として古くから人々の信仰を集めてきたことがうかがわれます。ここより上が極楽とされ、姥堂はいわば極楽浄土への入り口。実際、上へと登っていくと、石仏や「後生車(ごしょうぐるま)」と呼ばれる木柱が並べられており、周辺の人々の死生観、精神風土を暗黙のうちに映し出しています。
 さらに一歩一歩、石段を登り、五大堂へ。ここまでに要した時間は約40分。眼下に広がる大パノラマはまさに感動もの。これまでの疲れも忘れさせてくれます。
 残念なのは、この季節は奥の院が閉鎖されていたこと。ムカサリ絵馬(キーワード[3])って、知ってました?
 奥の院には追善供養の一種であるムカサリ絵馬がたくさん奉納されていて、霊場としての山寺の存在をクローズアップさせているそうです。
[1]慈覚大師・円仁
[2]松尾芭蕉
[3]ムカサリ絵馬
2007年1月26日