徹底して山形に密着したフリーペーパー

《セピア色の風景帖》 第140回 蔵王高速電鉄

2020年5月8日
 戦後まもない1947年(昭和22年)、山形―上山間に最新式の高速電気鉄道を建設しようと地元の資産家らが「蔵王高速電鉄」を設立した。
 計画した路線は香澄町から滝山、桜田、成沢、半郷などを経て上山に至るというものだった。
《セピア色の風景帖》 第140回 蔵王高速電鉄

 当初、省線(奥羽本線)と並行するとして運輸省は許可しなかったが、半郷―高湯間の支線を加えることで48年に認可されるに至った。 
 本線の工事は49年から始まり、線路を敷設するための築堤や停車場の設置などが進められた。
 電車5両の発注先は日立製作所で、3両は完成したが、50年に勃発した朝鮮戦争の影響で諸物価が高騰し、資金難から工事は中断、未完成の電車2両はキャンセル扱いになった。

 中断された工事の痕跡は現在も成沢―上山間の各地に残され、築堤、石垣、橋台などが果樹園の中などに残存している。
 電車3両は53年に岡山県の備南電気鉄道に売却されたが、同社もその後に資金難に陥り、最終的に65年、香川県の高松琴平電鉄の所属になった。

 鉄道ファンから「悲運の電車」と呼ばれた3両は2006年に営業運転を終了した。現在は岡山県玉野市で静態保存されているという。(F)